【24-25シーズン最終回SP】長屋梓のバレーボール人生と監督としての想いに迫る【兵庫デルフィーノ】
柳原 佑芽

皆さんこんにちは!

バレーボール・Vリーグのシーズンもいよいよ終盤戦。
今回はSporkleで選手インタビュー連載を行っている兵庫デルフィーノ長屋梓監督の特別インタビューです!

長屋監督はVリーグ・サフィルヴァ北海道(現:北海道イエロースターズ)で選手とコーチを2シーズンずつ経験したのち、2024年に兵庫デルフィーノの監督へ就任しました。実はVリーグの舞台へたどり着くまでに異色の経歴をたどってきたのだとか。

本インタビューでは学生時代の経験から、兵庫デルフィーノの選手・ファンへの想いまでたっぷりとお伝えします。ぜひ最後までお読みください!

長屋梓監督インタビュー

思い出が詰まった学生時代

ーバレーボールを始めた時期ときっかけを教えてください。


僕がバレーボールを始めたのは小学校3年生の時です。当時習い事はしていなくて、休み時間に校庭でバレーボールを使って円陣パスをした時に「バレーって面白そうだな」と思い、地元の少年団に入りました。

僕自身が当時身長がある程度高かったことや、力が強かったこともあって、どんどんハマっていきましたね。

ー学生時代で印象に残っている時期はありますか?


どこを切り取ってもいろいろ思い出がありますね。いちばんハードにバレーボールをやっていたのは高校時代です。

大学は高校とは正反対で新設のバレー部でした。僕が高校3年生の秋ぐらいに1つ上の先輩が男子バレー部を立ち上げたので、僕が入学する頃には創部から約半年後でした。

0から1ではないですけど、0.5から1を経験させてもらったので、たまたま入った大学がこういう状況だったのはなかなか面白かったです。

チームは僕が1年生の時から東海リーグに参入していて、最初はいちばん下の5部スタートだったんですけど、引退前には2部まで昇格することができました。部員みんなで力を合わせて下剋上を成し遂げられたことが嬉しかったですね。

ー学生時代はどのポジションでプレーされていましたか?



当時はオポジットというポジションでスパイクに専念していました。

僕はレシーブがあまり上手ではなくて、身長も周りに比べるとそこまで高くはなかったので、パワーでなんとか頑張るタイプだったと思います。

ー現在は監督としてチームを率いる立場ですが、学生時代にキャプテンは経験されましたか?


中・高・大学とそれぞれキャプテンをしていました。

僕自身はあんまりおちゃらけるタイプではなかったので、まずは目の前のことを頑張って、その姿勢に周りが感化されてくれるといいなと考えて行動していました。

あとは上下関係はあまり好きではないというか気にしていなかったので、下級生だから練習の準備をしなければいけないのではなく、同じチームでバレーをやるんだから全員で準備をしようと考えていました。

みんなで一緒に頑張る気持ちを大切にしていましたね。

大学院進学、そして教員として指導者デビューへ

ー大学卒業後の進路について教えてください。


実は大学を卒業した後に、保健体育の教員を目指して大学院に進学したんですよ。

3年生の冬に大学院の入試を受けるには力不足だなと感じたので、一度部活に踏ん切りをつけて勉強に専念することを決めました。ただ部活を辞めてからも愛知県にある社会人クラブチームに入ってバレーを続けていました。

大学院卒業後は地元の岐阜県で1年間高校の先生として勤務して、その時にいきなり女子バレー部の顧問になっていわゆる監督みたいなことも経験しました。土日とか休みの日にはクラブチームで僕自身もバレーを続けていましたね。

それで教員をしていた年の12月に社会人の東海地区の大会で、所属していたクラブチームとして優勝したんですよ。

それもあって、当時25,6歳でもありましたし「もう少し本気でバレーをしたいな」と思って「日本で本気でバレーをやるならVリーグに入るしかない」と決心しました。

教員は1年で辞めて、社会人2年目にフリーターとして働きながら、夏にいろんなチームの入団テストを受けてどこにも入れないのであればそこが自分の限界なので、そうなれば教員に戻ろうと思って。

そんな中でサフィルヴァ北海道(現:北海道イエロースターズ)から合格をもらえたので、9月には北海道へ引っ越しました。

ーかなり異色の経歴ですね。高校での指導者デビューでやりがいや難しさは感じましたか?


前任の先生がすごく熱心な方だったので、生徒たちも前向きな子たちばかりでした。

ただ、「部活動」としてバレーボールをすることの難しさや教育的な意味をどう持たせるかはすごく悩みましたね。僕が指導するだけではなく、子どもたちが僕に教えてくれたこともたくさんありました。

ーVリーグへの憧れの意識は幼い頃からありましたか?


憧れは全然ないというか、正直別世界だと思っていたんですよね。Vリーグ自体はもちろん知っていたんですけど、そこに自分が入れるなんて昔の自分からすると信じられなくて。本当にいろいろ考えた結果、行き着いた先がVリーグでした。

本格的にVリーグに進むことを意識し始めたのは社会人1年目の年です。それこそ大学のバレー部も途中で辞めて、同級生や後輩に迷惑をかけたので。その結果大学院に合格できたのかもしれないですけど。

そのバレーボールに対する熱量やプレイヤーとして頑張りたいという欲がまだ自分の中にあったということに社会人クラブチームでの経験を通じて気づけたのが大きかったですね。

サフィルヴァ北海道でのVリーグデビュー

ーVリーグのコートに初めて立った時の気持ちは覚えていますか?


当時のチームは監督が試合当日の朝か前日の夜に誰がベンチ入りするかを言うシステムだったんですよ。僕もサフィルヴァ北海道に入団したとはいえ、やっぱり自分よりすごい選手ばかりだったので、なかなかベンチに入ることができなかったんですけど、初めてメンバーとして呼ばれた時はすごくゾクゾクしましたね。

「マジで?」みたいな驚きとか嬉しさとか、いろんな気持ちが混ざった感情でした。

初めてベンチ入りできた時はまだまだ試合に出るには力が足りないと思っていたタイミングだったので、「もっと頑張らないとな」とより気合いも入りました。

ー北海道でのバレー人生を振り返っての感想はいかがですか?


北海道イエロースターズになった今でこそトップチームなんですけど、僕が入団した当初は監督が変わって1年目で、まだまだ常勝軍団と言えるほどではなかったんです。

僕は選手として結局2シーズンしかやっていないんですけど、当時はコロナが流行していたので、練習の方法や場所を工夫したり、ウエイトトレーニングなどボールを使った練習以外にも力を入れたりしていました。

2年間で感じたことを端的にまとめると、スポーツ選手として輝き続けることの難しさを実感できて良かったなと思っています。

テレビのスポーツニュースを見ていると、選手が活躍するシーンが流れると同時に選手が引退する情報が目に入ることもあって、時間が経つとみんなそうなるんだなって思う自分がいたんですね。歳を重ねても試合に出続ける人もいれば、若くしてプロの世界から離れる人もいて

Vリーグに入ったこと自体をすごいねって言ってくれる人もいて、その言葉もすごく嬉しかったんですけど、そこに入った後に輝き続けるというもう1つの壁を目の当たりにしました。

ー実際に高いレベルでプレーしたからこその気づきですね。選手引退時はどんな心境でしたか?


僕は「引退」という言葉を使わなくて、プレイヤーとしては身を引いたんですけど、競技自体には関わっているのでバレーから引退したとはまだ思っていないです。

もちろん選手を続けられたら良かったんですけど長くプレーために高い壁を超えないといけないことを実感したので、逆に輝き続けられる選手を輩出するために指導者になるのも悪くないなと思って北海道イエロースターズのコーチへと転向しました。

ー指導者として第2のVリーグ人生のスタートですね。部活動の顧問時代との違いは感じましたか?


Vリーグというステージは学生のカテゴリでトップを張っているような人の集まりで、ある程度のレベルの高さはあって当然なので、前提条件が違うってところがまず1つですね。

それとVリーグは興行なので、一種のエンタメ業だととらえているんですよ。アーティストの歌を聴いてファンが感動するみたいに、僕らはバレーボールを手段として、ファンに非日常的なエンターテインメントを届けることが求められる。選手にはそれを意識してもらわないといけないなと思っています。

ーその想いは現在の兵庫デルフィーノのチームカラーとも繋がっていますね。


そうですね。兵庫デルフィーノの監督に就任してすぐチーム内で話をして、「最高のエンターテインメントをファンへ」というコンセプトを僕が最初に打ち出したんですよ。

監督のオファーをいただいた時はバレーの指導者としての力のなさを感じていたので、正直悩む部分もあったんですけど、ただVリーグの監督というポジションは「やりたいです」と言ってすぐできるものではないですし。

僕が選手としてVリーグに挑戦した時もそうだったんですけど、やらずに将来年を取った時に後悔するよりも、挑戦してみてその後に結果を振り返るようにしたいなと思ったのが率直な気持ちです。

兵庫デルフィーノ「監督」としての新たな挑戦

ー監督とコーチの違いはどんな部分だとお考えですか?


自分の考えや想いをどう表現するか。その表現の仕方がポジションによって違うのはすごく感じていて。監督は指揮を取る立場なので、常に声を上げて考えを発信しないといけないですし、チームが動いていく姿を責任を持って見届ける必要があるなと思っています。

逆にコーチは監督がいてこそ成り立つポジションなので、監督の意見を尊重して、その上で自分がすべきことは何か考えないといけないと個人的には思います。なので、監督とコーチは感覚が全然違いますね。

ーなるほど。兵庫デルフィーノは今シーズンかなり少ない人数でのスタートだったそうですが、キャプテン・副キャプテンはどのような経緯で抜擢されましたか?


全国から選手が集まり、全体練習の時間を確保できない特殊なチームであることは以前からお聞きしていたので、その上でどうチームを動かすか考えたいと思って、既存の8人のメンバー全員と1対1で面談をしました。

僕自身みんなのことがまだ分からない状態だったので、誰がキャプテンに向いているかも面談で聞いてみて、澁谷(杜斗)をキャプテンに任命しました。そしてキャプテンを支える立場として、山川(悠輝)と澁谷と同い年の逢沢(亘)が副キャプテンにふさわしいと判断しました。

山川は新卒1年目のルーキー選手ではあったんですけど、プレーを頑張る姿でチームを盛り上げてほしいと考えた結果です。

ー途中加入も多く、現在では選手が20人を超えていますが、選手獲得の際はどこを重視されていますか?


シーズンが始まる前に関してはほぼ毎月トライアウトを実施していて、いろんなタイプの選手が来てくれました。注目したポイントとしては、まず「サーブを頑張ろう」というのがチームの最初の目標だったので、その姿勢があるかどうか

それと初めましての選手と一緒にゲーム形式の審査をする時に、どのようにコミュニケーションを取るかも見ていました。選手によってかなり違った色が出ていましたね。

ーシーズン中はフルセットで粘りを見せながらも勝てない試合が続いたと思いますが、選手へはどのような声かけをしていましたか?


デルフィーノに登録されている選手全員でチーム練習をしたことは実は1回もなくて、近いエリアの選手で集まって練習することしかできない状況でした。

そんな中で僕がシーズンの初めに言った「最高のエンターテインメントをファンへ」のコンセプトとか、プレーで意識してほしいと伝えた部分とか、そういったことを体現できているかを評価していました。

僕は今いるメンバーで一生懸命やった結果として勝ち負けを受け入れるべきだと思っていて。試合が始まれば勝ちにいくのは当然なんですけど、負けた試合でもいい場面があったらきちんと評価するべきだなと。

負けとはいえ悲観せずに見られる試合もたくさんあったので、次に向けてまたやっていこうと常に伝えていました。

監督として掴んだ1勝目。そして兵庫デルフィーノの魅力とは

ー2025年1月12日の福岡ウイニングスピリッツ戦で初勝利を掴んだ時のお気持ちはいかがでしたか?


やっぱり嬉しかったですし、チームにとっても価値ある1勝だったなと思います。毎試合ベンチ入り選手が変わる新体制など、新しいモデルを作ろうとしている最中なので、それを勝利という形で体現できた嬉しさも大きかったです。

先ほども少しお話したようにチーム練習をしていない中でそれぞれが頑張ってくれて、試合会場に来ていいパフォーマンスを発揮してくれたので。僕も他では聞いたことがないようなチーム体制ですが、新しい挑戦の1つだと思って前向きな気持ちで監督をしています。

もちろんいろんな意見もありますけど、僕自身はこの方針が面白いなと思って日々活動しています。

ー兵庫デルフィーノの魅力について教えてください。


チームとしてさまざまな新しいことに挑戦しようとしている中で、選手からも意見があったりとか、思うところもあったりすると思うんですけど、それでも選手の目が死んでいないというか。こういった状況下でも「どう頑張るか」を常に考えて行動してくれている選手たちに僕は救われています

仮にこの先他のチームに移籍したり、バレーを辞めて新しい道へ進んだりしたとしても、この環境でプレーした選手は絶対に強いですし、どこに行ってもやってくれるだろうと信じているので。他のチームに移籍してデルフィーノに戻ってきたとしても、また一緒に頑張りたいと思えるような選手たちばかりなので、今後も楽しみですね。

ー最後にファンの方やこれまで支えてくださった方へのメッセージをお願いいたします。


ホーム・アウェイに関係なくデルフィーノを応援してくださっているファンの方に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです

なかなか勝ちの喜びを共有できないことにおそらくもどかしさを感じられているとは思いますが、それでも選手が一生懸命頑張る姿を信じて応援してくださっている皆様のおかげでチームが成り立っていますので、これからも一緒に戦っていただきたいなと思っております。

これまでのバレーボール人生を振り返ると、自分1人の力ではここまで来れなかったなと強く思います。今監督をさせてもらっているのも本当に運がいいだけで、試合ができているのも選手たちの頑張りのおかげなので。

皆様への感謝の気持ちを忘れずに、今後も頑張ります


ーこれからも応援しています。ありがとうございました!


おわりに


ファンの方・選手への感謝の気持ちとともに前に進み続ける長屋監督。さまざまな出会いがあったからこそ今の自分があるとおっしゃっていました。

そして前回までの選手インタビュー連載を通じて、監督が掲げた「最高のエンターテインメントをファンへ」というコンセプトを体現しようと選手1人ひとりが全力を尽くしていることを皆様に知っていただけたと思います。チームが一丸となって挑戦し続ける兵庫デルフィーノは本当に素敵なチームだなと思いました。

今後もチームの活動に注目していただくことはもちろん、別の道へと進む選手たちへの応援もぜひよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


☆長屋監督についてもっと知りたい方は、こちらの動画もあわせてご覧ください!

【バクトーーク×サシトーークVol.2 #兵庫デルフィーノ のアイツが誰か一人呼んでダラダラ喋ります】
https://www.youtube.com/live/ckvRDof8Riw?si=wSOvaDMDLb1h9rwT 

☆選手インタビューなど、兵庫デルフィーノの記事をもっと読みたい方はこちらから!
https://madeinlocal.jp/category/sporkle

関連サイト


チーム公式サイト
https://bakus-katana.com/delfino/ 
YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@%E5%85%B5%E5%BA%AB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0 
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