「努力しても報われない」
そんな現実に直面したとき、人はどこまで踏みとどまれるのだろうか。
高校野球で3年間ベンチ外、公式戦出場なし。それでも野球を続けた谷口容基の原動力はどこにあったのか。
今回は海外野球への挑戦を経て、現在は野球指導者として活躍する谷口容基さんにインタビューを行いました。これまでの歩みや経験、次世代の子どもたちへ託す思いをたっぷりと伺っています。
ぜひ最後までご覧ください。
谷口容基プロフィール

小学3年で野球を始め、中学・高校は硬式野球部、大学は準硬式野球部でプレー。その後、社会人野球と独立リーグを経て、ドミニカ共和国・プエルトリコ・オーストラリア・コロンビアを渡り歩き、MLBへの道を模索した。競技引退後はオンライン野球教室「DREAM SCHOOL」での指導や、ロサンゼルス・エンゼルス所属のグスタボ・カンペーロのパーソナルコーチとしてWorld Baseball Classic 2026(WBC)やスプリングトレーニングに帯同するなど野球指導者としてのキャリアを築いている。
【オンライン野球教室「DREAM SCHOOL」】
https://www.dreamschool-baseball.com/
楽しさと苦しさを味わい、すべてが糧になった学生時代
谷口さんが野球を始めたきっかけを教えてください。
小学3年生の終わり頃に、テレビでプロ野球を見ていて「かっこいいな」と思ったことがきっかけです。小学校のチームに入って、最初のポジションはライトでした。がむしゃらに走り回ることが楽しかったのと、送球のベースカバーに入ったときに褒められて嬉しかったことを覚えています。
ただ、野球を始めて3、4ヶ月で広島県へ転校することになって、新しく入ったチームではずっとBチームでした。同級生はみんなAチームだったんですけど。でもその分、前にいたチームではできなかったピッチャーとキャッチャーも経験させてもらって、ノーヒットノーランを達成したこともありました。
6年生になるとAチームの主力として出させてもらって、主軸を打たせてもらったり、大事な試合で活躍できたりといい1年間でした。
楽しさに溢れた小学生時代だったんですね。その後、中学・高校での野球人生を振り返るといかがですか?

ここからどん底に入っていくんですけど...。
まず中学で硬式野球を始めて、バットにボールが当たると手がめちゃくちゃ痛くて、全然打てなくなりました。そこで指導者の方が「左打ちはどうだ?」と提案してくださったんです。でも左でなんて打ったことがなかったので、ひたすら試行錯誤する日々でした。
守備でも、ショートからファーストに向かって投げる送球がツーバウンドになって、「野球全然面白くねえな」と思うことも増えました。小学校の時は身長が周りより大きくて体格差もありましたが、中学になるとみんな成長して抜かれましたね。
周りとの差を痛感するなかで、やめたいという気持ちはなかったのですか?
やめたいと思うことはもちろんありました。野球をやらされていた感じでしたね。親から「練習しろ」とかいろいろ言われるじゃないですか。徐々に周りの期待も大きくなっていくし、チームメイトと比べられることもあって、野球が好きじゃなかったです。ただ、やめてもすることがなかったというのもあります。
高校に入るタイミングで寮に入って、両親と離れて暮らすことにもなったので、ホームシックになりました。練習もずっときついし、走らされるしで「いつ逃げ出してやろうかな」と思って、実際に寮から逃げたんですよね。もちろん監督さんにめちゃくちゃ怒られて、僕もすごく反省しました。
2年生になると寮でテレビを見ることができるようになって、夏の甲子園を見ていました。そのときに、これまで雲の上の存在だと思っていた高校球児に自分も追いつけるんじゃないかと思ったんです。甲子園が憧れから目標に変わって、なんか急に目覚めたんですよね。それからは甲子園出場を目指して、鬼のように練習するようになりました。
具体的にはどんな練習に力を入れていましたか?
高校球児の50m走のタイムや、遠投の距離が掲載されている雑誌があって、その数値に追いつけるような練習をしていました。それと、寮の2段ベッドの天井に自分なりに目標を立てた紙を貼って、それをクリアしていくことを日課にしていました。途中からゲームみたいに楽しくなってきて、モチベーションの向上にも繋がっていたと思います。それと、陸上の先生にアドバイスをもらったり、腕を怪我したときにはひたすら走ったりして、50m走はタイムが1秒縮まりました。
高校時代はローカル大会も含め、公式戦に1試合も出ることができなかったです。練習試合にも両手で数えられる程度しか出場できず、正直いい思い出はないですね。ただ、自分の能力をあげることに精一杯取り組んだ経験があったからこそ、今があると思っています。
まさに努力の結晶ですね。高校卒業後はどのような道に進まれましたか?

東京の大学に進学して硬式野球部に入ろうと思いましたが、強いチームだったので、3年間公立高校のベンチ外だった僕は入部することができませんでした。そこで野球をやめようかと思ったのですが、高校の同級生のお父さんが僕の能力をすごく買ってくれていて、「ひろきは大学でもやった方がいいよ」と言ってくれて、準硬式野球部に入ることを決めました。
ただ、ここでも1年生の時はメンバー外で、高校から数えて4年間公式戦に出ることができませんでした。当時所属していた準硬式野球部は学生野球で、監督がいなかったので余計にメンバー外だったことに納得できなかったんです。「試合に行きたくない」と言ったこともあって、先輩たちにすごく迷惑をかけたなと反省しています。そんな問題児の僕を「練習をすごく頑張っていて真面目だな」と気にかけてくれる先輩がいて、試合でもチャンスを与えてくれました。先輩とは大人になった今でも交流があって、ご飯に連れて行ってくださるなど気にかけていただいています。
それと、親友の兄で硬式野球部の副キャプテンを務めていた先輩も僕のことを見かねてバッティングを教えてくれました。半年後には主軸を打つようになり、創部2度目の全国大会決定戦でも先制のタイムリーヒットを打つことができました。本気で練習して、やっと人並みになれたなと思います。
この期間の練習で、どのような感覚を掴みましたか?
左打ちは打った後、ファーストへ走るために体が右に流れるんですよ。そうすると背中側に体重がかかって、体が開きやすくなるんですね。それを硬式野球部の先輩に指摘してもらって、開かないための練習を何百回、何千回と繰り返すことで打てるようになりました。
お世話になった先輩はすごく努力家で、僕の気持ちもすごくわかってくれるんです。本当に師匠みたいな存在ですね。この方のおかげで今の僕がいると思っています。
素敵なご縁ですね。その後の大学野球はどのような時間でしたか?
3年生で副キャプテンになりましたが、僕は野球に対するモチベーションがめちゃくちゃ高かったです。でも周りにはそんなにモチベーションが高くない子もいて。その気持ちの差で同級生と対立してしまいました。
大学のチームは基本的に4年生まで部活動を続けるのが一般的でしたが、僕は3年生の夏でやめる選択をしました。それから数ヶ月は野球部でもない親友が練習に付き合ってくれて、4年生に上がるタイミングで社会人野球のクラブチームに入部することにしました。これが高校生以来の硬式野球への復帰でしたね。
そして、社会人になる前に3つの独立リーグのトライアウトを受けました。就活を経て内定をいただいていた企業もありましたが、そこはお断りさせてもらって関西独立リーグの大阪06ブルズ(現大阪ゼロロクブルズ)に入団することを決めました。
独立リーグ、そして海外へと大きな一歩を踏み出す
なぜ独立リーグへ進むことを決めたのですか?
自分の可能性がどこまで通用するのか試したいのと大学の準硬式野球部の子たちへ自分の考えが正しかったと証明するためにはプロになるしかないと当時は考えていて、その気持ちから独立リーグを選びました。
独立時代には選抜メンバーに選んでいただいて、プロ野球のチームとの試合も経験しました。そのときにプロのプレーの精度の高さや丁寧さ、技術の高さが自分と全然違うなと感じました。一方でプロ相手にヒットを打ったり、盗塁できたりと自信がついた側面もありましたが、上に行くにはもっと努力すべきことがあるなと痛感しました。
06ブルズで1年間プレーした後は四国アイランドリーグとBCリーグのトライアウトを受けましたが、どちらも通らなかったので野球をやめようと思いました。
一度やめようと思ったなかで、野球を続ける選択をしたのはなぜですか?
たまたま父親の知り合いにMLBのフォトグラファーの方がいて、一緒に食事をしたときに「MLB目指したらいいじゃん。ドミニカに行けばチャンスあるよ」と言われて。半信半疑だったんですけど、「本気でプロになりたいなら行ってみればいいんじゃない?」という言葉を信じて、すぐに航空券を買って、ドミニカ共和国に渡る決断をしました。
ドミニカではしょっちゅうトライアウトをやっているので、そこに参加して契約を勝ち取ろうとしました。ただ、通訳もいないので言葉が全くわからなくて、トライアウトの参加にたどり着くまでにとても時間がかかりましたね。それであっという間に3、4ヶ月経ってしまって、やっとのことでアカデミーに入って、そこのアパートに住むことになりました。その部屋のルームメイトが今はMLBのロサンゼルス・エンゼルスに所属しているグスタボ・カンペーロという選手です。
すごい行動力ですね!ドミニカ共和国のアカデミーはどのような組織なのですか?
日本でいう〇〇ボーイズや〇〇シニアのようなチームが近いです。中学生ぐらいの年代の子たちが所属している団体で、選手がMLBと契約したときに契約金から数%がアカデミーに入ります。このお金で運営されている組織がアカデミーです。
ドミニカでは14〜16歳ぐらいがターニングポイントとして大切にされているのですが、僕は当時もう23歳でした。簡単に言えば僕は彼らにとって対象外でしたし、言葉もわからないので、全部あちら側に有利な条件で契約を進められたり、お金を取られたりとか。そんな経験をたくさんしていたところを、ルームメイトのカンペーロが見かねて助けてくれました。彼はコロンビア出身で、若い時から母国を離れているのでカルチャーショックを経験していて、気持ちをわかってくれたんです。
ドミニカに渡った後、どんな野球人生を歩みましたか?

2019年の2月に野球人生に区切りをつけるまで、ドミニカ、アメリカ、プエルトリコ、オーストラリア、コロンビアを渡り歩きました。なかなかチャンスが見つからないまま日本と海外を行き来して、派遣の仕事をしたり、オーストラリアではワーキングホリデーを経験したりしました。
この経験の中ではドミニカのシバオリーグに参加できたことがいちばん良かったです。日本のプロ野球に匹敵するぐらいのレベルで、ピッチャーもみんな150km/hぐらい投げますし、簡単に通用するような世界ではなかったですね。でも、このレベルのところで高校3年間メンバー外だった僕がプレーできたんです。9年かけてやっとここまで来たかとも思いましたが、この経験は本当に大きかったと思います。
野球指導者への道

どのような経緯で野球指導者になろうと思ったのですか?
海外と日本を行き来していた頃に、練習場所を使わせてくれていた大阪のチームに恩返しをしたいと思い、ときどき練習の手伝いに行っていました。そのチームの監督さんが「君の指導のおかげで、選手がどんどん変わっていってすごい」と僕を評価してくださったんです。
僕自身、高校生の時にメンバー外を経験していますし、プレイヤーとして第一線に立った経験もあるので、両方の選手の気持ちが分かります。それを活かして、技術の指導だけではなく、メンタルケアにも努めていました。
日々選手と関わることにやりがいを感じていた一方で、海外へ行った経験を活かして、選手生活に区切りをつけたのちに専門商社へ就職することが決まりました。それで東京へ行くことが決まってしまって、大阪にいる子たちに教えられなくなるなと思ってSNSを始めました。その後は転職などを経て、大阪で野球教室を開校して現在に至ります。
野球教室で子どもへ指導する中でどのようなことを感じていますか?
子どもたちができなかったことができるようになった瞬間は自分のことのように嬉しいですね。彼らの変化を見守ることにも、すごくやりがいを感じます。大人の発言が子どもの夢を奪ってしまうこともあるので、口を出しすぎずに、もがいている子には寄り添うようにしています。
指導で意識していることは、自分の型にはめないことです。それぞれ体格も感覚も違うので、ヒアリングしながらメニューなどを組み立てています。その子によってアプローチの仕方も全然違うんです。「この子にはこれが合うんじゃないかな」と考えて、自分の経験や知識の引き出しを開けて渡してあげるイメージです。
それでも自分には分からない感覚もあるので、子どもから逆に教えてもらうこともあります。例えばバッティングをどうやるかまずは教えてもらって、次につまづいているところを聞き出して、そこに自分の経験値をプラスしてあげる流れです。
選手たちに一番やってほしいのは、自分自身のパフォーマンスを上げて結果を残すことなんですよ。そこに僕が必要なければ、それでいいと思うんです。なので、まずは結果を最優先にしてもらって、頼りたいときに頼ってもらうという姿勢を大切にしています。
終わりに
結果が出ない時間にも、確かな意味はある。
谷口さんのこれまでの歩みが、それを証明しています。もし今あなたが思うようにいかない日々の中にいるのなら、その経験もきっと未来の自分を支える糧になるはずです。
また、谷口さんは取材の中で「挑戦」という言葉を何度も口にされていました。その言葉にこれまでの歩みや想いが詰まっているように感じられます。
次世代を担う子どもたちの可能性は無限大です。だからこそ恐れずに、一歩踏み出してほしいと私たちは願っています。その挑戦の先にしか見えない景色がきっとあるはずです。
次回は谷口さんとロサンゼルス・エンゼルスに所属するグスタボ・カンペーロ選手の二人三脚での歩みをお届けします。
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