【挙活系Vリーガー】勝つ喜びを追い求めて。檀上正健のバレーボール人生に迫る【兵庫デルフィーノ選手図鑑 vol.2】
柳原 佑芽

皆さんこんにちは!


今回はVリーグ・兵庫デルフィーノの個人インタビュー連載の第2弾です。

白川佑樹選手へのインタビューに引き続き、「挙活系Vリーガー」の異名を持つ檀上正健選手にお話を伺いました。


一時期画家を目指していたことや、大学時代の勝利のジンクスなどさまざまなストーリーを経て現在に至ります。この記事を通じて檀上選手のバレーボール人生に迫っていきましょう!

檀上正健選手・一問一答プロフィール

Q. 出身は?


A. 広島県呉市です。海軍の基地があった場所で、戦艦大和が有名な街です!

Q. ポジションは?


A. ミドルブロッカーとオポジットです!

Q. ニックネームは?


A. よく「ダンちゃん」って呼ばれます。昔からの知り合いだと「まさかつ」かな。兵庫デルフィーノのキャプテンの澁谷杜斗は小学校からずっと一緒なので、「まさかつさん」って呼ばれています。

Q. 趣味は?


A. 趣味は筋トレです。ウエイトリフティングが大好きでよくやっています。

元々はバレーボールのために始めたものだったんですけど、やっていくうちに競技の面白さに取り憑かれちゃって、ガチでのめり込んでます。「挙活系Vリーガー」とも名乗っていて、ウエイトリフティングの大会にも出場したことがあります。

インタビュー本編

ーバレーボールを始めた時期とそのきっかけを教えてください。


当時から身長が高かったので、小学校5年生のときのクラスメイトに「うちのバレーボールチーム来ん?」と誘われたのがきっかけです。小学校の校区の子たちで作ったクラブチームでした。


元々剣道をやってたんですけど、その練習が正直キツかったんですよ。一刻も早く剣道をやめたくて。先生が警察官の方ばっかりで怖くて、全国優勝を目指すみたいなところだったんで。もう本当に厳しかったんですよ。


そんな中でバレーの体験に何回か行ったら「めっちゃ楽しいな」って思って。でもいざ蓋を開けて見ると、バレーもバレーで「全国目指しましょう」と言われて、結局どっちも本気だったのでつらかったです(笑)

ー全国大会を目指すということは、日頃から大会によく出場されていましたか?


県大会とかもバンバン出てましたし、僕が入った時点で県大会ベスト4に入るみたいな。本当についていくのでいっぱいいっぱいでした。


バレーを始めた頃はめっちゃぽっちゃり体型で、小学生にしてポテチとコーラが大好きで。最初は太ってて運動もできなかったけど、どんどん激ヤセしていったぐらい練習はキツかったです。

ーキツイ練習でもバレーを続けようと思ったのはなぜですか?


やめさせてくれなかったんですよ。父親と母親が「お前がやるって言ったんだから責任持てよ」って。特に母が体育会系でスポーツはやってなかったんですけど、奈良県の天理高校で男子バレー部のマネージャーを昔やっていました。


母方の祖母も広島県の就実高校でバレーをやっていて。祖母がまず超体育会系で、その祖母に育てられた母も体育会系なので、投げ出すことはできない。辞めさせてもらえなかったです(笑)

ーなるほど。中学でもバレーを続けることになったのですか?


小学校のクラブチームのメンバーがみんな同じ呉市の片山中学校に上がって。ただ、僕自身中学でバレーをやるつもりはなかったんですよ。実は絵を描くのがめっちゃ好きで、「美術部入りたいな」「画家とか美術の先生になりたいな」と思ってて、大阪芸大に入りたかったんですよ。


それで体験入部の時期ぐらいに、小学校のチームのみんなが「おい正健!みんなでこの後体験いくけん、お前も行くやろ?」って誘われて、「でも俺バレー部入らへんで」みたいな。でも「体験入部やけん行こ」ってもう1回言われて、「まあ体験やしいいか」と思って行くことにしました。


体験入部の練習が終わったら、バレー部の顧問の先生が「おいお前ら!」って言って入部届を持って来て。断れる雰囲気じゃなくて(笑) 「体験入部じゃなかったっけ?」と思いながらも、顧問の先生がめちゃくちゃ怖かったんで、その場で入部届けを書いてバレーを続けることになりました。

ー体験入部に行っていなければ、未来が変わっていたかもしれませんね。


偶然が偶然を生んだというか。あの頃はバレーを楽しい気持ちでやってるというよりも、「上手くならなきゃ、練習しなきゃ、とにかくやらなきゃ」と思っていました。周りが一生懸命やってるんだから、自分も一生懸命やんないとみたいな感じでしたね。

ークラブチーム出身の選手が多いとなると、中学校の部活もかなり強かったですか?


まず小学校のときに僕らの代で全国3位になって、その後も中学2年生のときに史上初めて県大会で優勝しました。僕らの代でも秋の引退試合の県大会で優勝しましたね。(今もデルフィーノでチームメイトの)澁谷もいましたし、本当にいいメンバーが集まっていました。



春高へ行きたい。崇徳を倒したい。2つの夢を追いかけた高校時代

ー徐々にバレーボールは好きになっていきましたか?


自分たちの代で県大会優勝したときに勝つことの楽しさを知ってどんどん上のステージに立ちたいと思えるようになりました。


本格的にバレーを好きになり始めた瞬間は中学1年生の終わりぐらいだったかな。今は毎年1月に開催されている春高バレーが当時は3月開催で、今は東京グレートベアーズにいる柳田将洋選手が率いる東洋高校と鎮西高校の決勝を生放送のテレビで見たんですよ。それがめちゃくちゃカッコよくて、「俺も春高に行きたい」という思いがそのとき芽生え始めて。


まず春高に行くためには、中学でもちゃんと活躍して全国行かなきゃと思って。そこから義務感とか責任感とかだけじゃなくて、「勝ちたい」と思って練習するようになって、バレーがいつの間にか好きになっていましたね。


その後は広島県の神辺旭高校に進学しました。崇徳高校という絶対王者の高校からも声がかかってたんですけど、小学校から同じチームの3人が神辺旭から推薦をもらっていて。


中学のとき広島選抜では全国大会に行けたんですけど、僕らのチームとしては全国に行けなかったんですよ。なので、やっぱり自分たちの力で勝って全国に行きたいし、それなら崇徳でそのまま全国に行くよりも、崇徳を倒して全国に行くべきやなと思って選びました。

ー小学校からの仲間とどんどん結束が強まっていきますね。澁谷選手も後を追って入学されて。


もはや腐れ縁ですけどね(笑) 本当にもうずっと一緒でした。


(澁谷)杜斗とはガラケーで電話したりして、「高校どこ迷っとん?」って聞いたら「崇徳とか迷ってるんですけど」って。「もう一緒にやろうや、みんなで崇徳倒そうぜ」って伝えて、杜斗以外にもうちの中学校から3人来ましたね。

ーその後、崇徳高校との戦績はいかがでしたか?


僕が高校1年生の時はもう崇徳がめちゃくちゃ強かった。国体で4位になるぐらいだったので勝てませんでした。


2年生の時は崇徳とやりませんでした。春高予選で崇徳がめちゃくちゃ久しぶりに負けて、広工大高校が全国に行きました。そのチームにも片山中学の先輩がいて、「〇〇さんたちが崇徳ぶっ倒したぞ!」って。その広工大に僕たち神辺旭は準決勝で負けて、決勝に行けなかった。でも広工大を見て「俺らも崇徳を倒してやろう」と思いましたね。


3年生になって、崇徳とは広島県の新人戦・中国大会の予選・インターハイ予選の決勝で合計3回試合をしました。けど崇徳には結局勝てなかったですね。やっぱり強かったですよ。


でもボコボコにされたわけではなくて、1セット目を先制して「よっしゃ勝てんじゃねえか!」と思ったり。崇徳も王者の意地で取り返してくるんですけど。周りからも「今年は神辺旭か崇徳か分からんな」って言われてました。

「救世主檀上」として活躍した大学時代

ー春高への夢が途絶えてしまった中で、バレーボールを続けようと思われたのはなぜですか?


正直高校できっぱりバレーを辞めるつもりだったんですよ。警察官になろうと思って。


でも春高予選は準決勝で負けちゃって、決勝の舞台にすら届かなかったんです。負けたときに、やっぱりこのままで終わりたくないというか、やりきった感じがしなかったので。親ともたくさん話して、「大学で本当に終わりにするから」と伝えて、天理大学でバレーを続けさせてもらうことになりました。

ー大学で印象に残っている試合はありますか?


大学3年の時に奈良県勢初の天皇杯ファイナルラウンドに出場し、4年でも2年連続で行けたことです。まさかの出来事で、自分たちも信じられないし、周りも「え?天理が行った!?」みたいな。今でこそ天理大学は結構強いですけど、僕らの時は一部リーグでも下の方やったんで。みんな驚きですよ。


でも何がいちばん驚いたって、大学の時は僕控えの選手やったんですけど、3年生で天皇杯に初出場した時は初戦の相手が和歌山の強豪・開智高校で。1セット目と2セット目を連取されて負けそうな時に、「檀上行ってこい」って言われたんですよ。「え、僕すか?」って(笑) それでミドルで出て、上手いこと逆転勝ちしました。


それで2試合目が格上の関西学院大学で、10回試合したら7、8回は負けるぐらいのところやったんですけど、まさかのストレート勝ち。「嘘やん!?」と思って(笑) この試合も僕がスタートで出てました。


決勝戦はVリーグの近畿クラブスフィーダで、正直えぐい選手ばっかりなんでさすがに勝たれへんやろなと思ってたら、再びまさかのストレート勝ち。これでファイナル行きを決めました。

ーいや、単純にめちゃくちゃすごいですね。


4年生の時は1回戦がクボタスピアーズ大阪で、まだVリーグ参入前ではあったんですけど、名だたる選手が集まってめちゃくちゃ強いチームでした。クボタに大産大出身の大エース・赤松圭介さんがいて、「うわぁ、赤松さんおるやん」って思って。


僕は4年生のときにアウトサイドにコンバートしてて、ポジションがレフトに変わっていて。それでまた「檀上行ってこい」って言われて、またポンポンって勝って。その試合でスタメンのセッターが捻挫して交代したんですよ。控えのアウトサイドとセッターが出てる状態で勝って、「あれ!?」ってなって(笑)


2回戦は大阪産業大学で、当時は関西一部リーグで上位争いをしていたところでした。おまけに大学日本代表の勝岡将斗がいて、僕と同い年なんですけど崇徳出身なんですよ。そういった実力をよく知ってるメンバーもいて「次は産大か、2年連続はさすがに厳しいかな」と思ったら、ストレート勝ち。僕も途中ピンチヒッターとして出場して、上手いことスパイクが決まりましたね。


決勝戦の龍谷大学も到底勝てないような相手だったんですけど、まさかのストレート勝ちっていう。奇跡が重なっていました。

ー檀上さんはチームの救世主のような存在ですね!


僕と控えのセッターが2人セットで出ると何かが起きるみたいなジンクスが出来上がってました(笑) いやあ、今思い返してもめちゃくちゃ面白かったですね。


そのセッターが大阪産業大学との試合で足をつったんですよ。もうジャンプフローターもまともに打てないような状態。それでそいつがジャンプフローターを打てないから、立ったまま普通のフローターを打って、それがめちゃくちゃ決まったんですよ(笑) それで産大もびっくりしたんでしょうね。


産大の勝岡にその後話を聞いたんですけど、「なんでお前がサイドで出てくるん!?」ってびっくりされて。「あいつミドルじゃなかったっけ?」って。サイドで出てきたことも結構驚きのひとつだったらしいですね。

Vリーグへの道

ーVリーグへ進んだきっかけは何でしたか?


大学バレーが終わってから、Vリーグのチームから声はかかっていなかったので、あとはクラブチームで楽しくやろうかなと思っていました。


それで、たまたま僕がいた奈良のクラブチームが当時の奈良ドリーマーズの監督さんと仲良くて。あるとき練習試合をしたんですけど、僕はたまたま調子が良くて、5セット制で3-2と勝ち越すことができました。


その後の練習で、監督さんから「お前、うち来る?」って言われたんです。ただ、当時警察官の採用試験を受けるために就活浪人をしていたんですね。なので、「すみません、今は就活で忙しいんで、もし夏の試験で警察の採用試験に受かったらプレーさせてもらいたいです」って言って、採用試験に受かってから奈良ドリーマーズに入団させてもらいました。

ーちなみに、初めてコートに立った時の気持ちは覚えていますか?


めっちゃくちゃガチガチに緊張しました(笑) 途中でミドルブロッカーで入ったんですけど、頭の中が真っ白で活躍する場面もなく終わりました。

ーそこから今に至るまで、どんな想いでVリーグでプレーを続けていますか?


ここの舞台に入れたからには、できるところまで全力でやりきりたいなっていう気持ちが大きいです。クラブチームとかで楽しくバレーするのも好きなんですけど、真剣勝負の中でどうやって勝つかっていう勝負の世界がやっぱり面白いなって個人的には思うので。

去年も奈良ドリーマーズを退団して、デルフィーノのトライアウトに落ちたら本当の本当に引退しようと思っていました。

現役続行、兵庫デルフィーノへ入団

ー兵庫デルフィーノのいいところはどこですか?


ファンを大切にしているところです。チームとしてリスペクトできるなと思ってデルフィーノを選びました。プロとしてやる意味って、お客さんとかファンのためにバレーボールすることだと思うので。どのVリーグのチームもそれを大切にしていると思うんですけど、僕の中で印象が強かったのがデルフィーノでした。

ー試合を見にきてくださる方に注目してほしいアピールポイントはありますか?


会場を巻き込んで楽しくバレーをするのがデルフィーノのいいところだと思います。

自分自身としてはベテランとして誰よりも練習やトレーニングをする姿を見せないといけないなと思って、自覚を持って行動をしています。

あとはいろんな子たちとコミュニケーションを取ることも大切にしています。僕が奈良ドリーマーズに入った時に、ベテランの方にたくさん話しかけていただいて、チームに馴染みやすくしてもらった経験があるんですね。


現在東京グレートベアーズのスタッフをされている碩光輝さんとか、当時リベロをされていた小寺秀哉さんとか。下町浩二さんやなべ(渡邊徹)さん、おすぎ(杉谷祐磨)にもお世話になりましたね。めちゃくちゃバレーに対して真摯に取り組む選手ばかりで、いろんなことを教わりました。

後半戦に向けての意気込みと読者へのメッセージ


ー改めて、後半戦の目標を教えてください。


とにかく1勝することが大前提かなと。


格上のチームにもフルセットで食らいついたり、勝つ可能性を十分に秘めたチームなので、その力をいかに発揮するかに尽きると思います。それに向けて若手にしかり、僕自身もしっかり準備して勝ち星を積み上げていきます

(※取材後の福岡ウイニングスピリッツとのホームゲームで2連勝を飾りました!)

ー最後に、ファンの皆様や読者へメッセージをお願いいたします。


今シーズンかなり負けが続いて厳しい状況ですけど、くじけそうな僕たちの心は皆さんの温かい応援に支えられています。その思いに少しでも報いることができるように、勝ち星をこれから積み重ねていこうと思いますので、後半戦になりますけど今後とも応援をよろしくお願いします。


僕は元々運動音痴で走るのも遅いし、練習がきつすぎてすぐに泣く子だったんですよ。当時の同級生に「僕は将来Vリーガーになる」と言っても信じないと思います。なので僕はそういう子たちに少しでも希望を与えられたらと思いながらプレーを続けます

ーこれからも応援しています。ありがとうございました!

おわりに

中学時代に「勝つ喜び」を体感し、さらにバレーボールにのめり込んだ檀上選手。

奈良ドリーマーズでお世話になった先輩から受け継いだ優しさを胸に、ベテラン選手として兵庫デルフィーノを支えています。


ぜひ兵庫デルフィーノの試合へ足を運び、檀上選手の勇姿を見届けてくださいね。


次回はデルフィーノの春日こと波賀野蓮選手のインタビューをお届けします!お楽しみに!

関連サイト

チーム公式サイト

https://bakus-katana.com/delfino/ 

YouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/@%E5%85%B5%E5%BA%AB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0 

Instagram

https://www.instagram.com/hyogo_delfino/ 

X

https://x.com/Hyogo_delfino 

試合日程・結果(V.LEAGUE公式サイト)

https://www.svleague.jp/ja/v_men/ 

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