皆さんこんにちは!
和歌山県紀南地方のサッカーチーム・南紀オレンジサンライズFC。県外や国外から移住した多数の選手が在籍し、2027年までの関西リーグ昇格と地域の課題解決を掲げて活動をしています。
そんな選手たちのバックグラウンドや、サッカーに対する想いを知ってみませんか。
今回は夢を追いかけるために小学校の教員を退職し、サッカーの道を一直線に走り続ける竹川恭平選手にインタビューさせていただきました。
ぜひ最後までお読みください。
【クラブ紹介記事はこちらから】
南紀オレンジサンライズFC・クラブ紹介〜サッカーから始まる、地域の新しい物語〜
https://madeinlocal.jp/category/sports/015
兵庫県宝塚市出身で、主にセンターバックとして活躍する竹川選手。どのような人生を歩み、和歌山県でサッカーをすることになったのでしょうか?早速聞いてみましょう!
小学校〜高校時代
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ーサッカーを始めた時期と、そのきっかけを教えてください。
幼稚園の年長さんの時に、母親が同い年の親戚と僕を小学校のサッカーチームの体験に連れて行ってくれて「サッカーってめっちゃ面白いな」と思いました。
このままサッカーやりたいなと思って2回目の体験に行ったら、2・3年生にめっちゃバカにされて。「サッカーなんて絶対やらん」って言って泣きながら練習を辞退したんですけど、母親が嫌なまま終わらせたくないと言って、もう1回だけ練習へ連れて行ってくれて。そのままサッカーにのめり込みました。
ー挫けずに練習へ行ったことが、竹川選手のサッカー人生へ繋がっているのですね!
本当に母親のおかげですね。小学校のサッカークラブには小学校4年生の途中まで在籍していました。その後はステップアップをするために、「宝塚ジュニアフットボールクラブ」というクラブチームへ移りましたね。
岡崎慎司選手も在籍したチームです。お金を払えば誰でも入れるので、たまたまなんですけど(笑)
クラブチームに入ると練習が週2回から週6回に増えて、とにかく楽しかったですね。もっとサッカーが好きになって、成長も感じました。
ー高校では部活動へ入りましたか?
そうですね。私立に行きたくないというか、いい選手を集めたチームに負けたくなくて。兵庫県の公立高校で調べてたら県立西宮高校が出てきました。偏差値的には準進学校ぐらいで、サッカーも結構強かったんで。「そこに行こう」と思って、宝塚を出て西宮に移りました。
ーなるほど。受験期はかなり勉強にも力を入れられていましたか?
市外の人は推薦入試でしか入れなかったんで、そこに向けて勉強してた記憶はあるんですけど、塾には行ってませんでした。高校受験の前でも体を動かして、毎日自主練をしてましたね。やっぱりサッカーをしたかったんで。
ーサッカー好きは常に変わらないですね(笑) 高校入学後、クラブチームと部活動の違いは感じましたか?
クラブチームは学年ごとだったところが、高校は1〜3年生が全員同じチームで。1年生の最初にちょっと目立ってしまったがゆえに上のチームに入れられて、先輩や監督にボコボコにされることがあって。クラブチームでは先輩も仲が良い人ばかりだったので、高校に入った瞬間、すごい序列やなって(笑)
全体で80人ぐらいだったので、全員で一緒に練習するのは結構大変だったと思うんですけど、それ以外に大きな違いはあんまり感じなかったですね。
あとは朝練が始まりました。自主練だったんですけど、1年のうちから行くって決めて。僕行くって決めたら休まれへん性格で、最初に6時45分から動き出しちゃったんで。3年間それを続けないと気持ち悪かったんです。
ー6時45分から練習開始ですか...!
その時間にグラウンドで動き出していました。毎日5時過ぎに起きて、謎にめっちゃ追い込んでたみたいな(笑) でもこの朝練のおかげでいろいろ培えたものもあるし、周りの信頼を得られたことは大きかったと思いますね。
大学時代と教員を志したきっかけ
ー高校卒業後の進路について教えてください。
まずは教師になりたかったので、そこを第一に大学を選びました。教育大学よりもいろんな学部がある大学の方がいいなと思って、大阪市立大学に行こうと思ったんですけど試験に落ちてしまって。「どうしよう」ってなった時に進路指導部の先生から和歌山大学を勧められました。教育学部もあったので、そこを目指そうと決めました。
もちろんサッカー部もあって、めっちゃ強くもないけどめっちゃ弱くもないぐらいの。やっぱりサッカーを続けられるかも譲れないポイントでしたね。
ーなるほど。ちなみに教師を志したのはなぜですか?
高校のときにサッカー選手になりたかったけど、諦める決意をしました。そのときにやりたい仕事を考えて、「会社員は絶対ちゃうしな」と思って。
中学のときのクラブチームのコーチが僕の恩師で、誰かの恩師になれるというか、誰かの記憶に残る人になりたいと思って学校の先生になるか、命を救う消防士になるかの2択で迷ってたんですね。
その時期にたまたま幼なじみと遊ぶ機会があって、「教師と消防士で迷ってるんやけど、どっちがいいかな」ってめっちゃフランクに聞いたら、「恭平は絶対教師になって」と言われて。「オッケー、ほんなら教師なるわ!」と答えて教師になりました(笑)
ー友人の言葉が決定打だったんですね!
スッと入ってきたというか。「向いてる」じゃなくて「(教師に)なって」って言われたんで。素直にその言葉が嬉しかったですね。
ー大学のサッカー部での活動はいかがでしたか?
当時関西リーグには一部・二部A・二部B・三部があって、1年生のときに三部に落ちてしまって。その後自分たちがキャプテンをしてた3年生のときに二部Bに昇格できて、4年生でもそこに残れました。割と行ったり来たりでしたね。
部活自体は週4日になったんですけど、休みの日にも練習して。高校と変わらず結構追い込んでました。
ーさすがですね!大学ではキャプテンをされていたのですか?
3年生がキャプテンや主務を受け持つ学年だったので、そのときにキャプテンをしていました。高校では副キャプテンだったので、キャプテンになるのは人生初でした。
僕は完全に姿で見せるタイプでした。
論理的なことも言わんし、コミュニケーションの面は副キャプテンが得意だったので任せてましたね。だからこそ、僕がガッて言ったときはみんな素直に聞いてくれるし。「切り替え遅い」とか「球際行け」とか。反論されるようなことは基本的に言わないので、「言い返されへんから怖かった」って引退するときに言われました(笑)
サッカー以外でもそうなんですけど、失敗とかミスに対しては別に怒ったりしないです。同じことを繰り返すとか、何も考えてないとか、やることやってないときには注意はしますね。
教員時代のかけがえのない思い出
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ー小学校の教員をされていたとのことですが、何年生の担任をしていましたか?
和歌山県の小学校で3年生の担任をしていました。教員をしていたのは1年間ですね。
1、2年生が怪獣やったのが、だいぶ会話ができるようになるというか。感情任せプラス言葉も出てくるから、結構口悪かったり(笑) 勉強も一気にレベルアップするんで、結構つまづく子もいたりとか。大変だったけど、子どもたちも保護者もみんな仲良くしてくれて、すごくいい環境でしたね。
ー教員時代で特に印象に残った思い出はありますか?
ちょうどコロナの時期です。4月と5月は週に1回しか学校に来ない時期があって、6月からみんな揃って登校することができました。ただ給食の時間は黙食で、全員前向きで喋ったらダメで。でもシーンとした空気が僕あかんかったから、みんなの方向いて変顔とかして。子どもが笑った瞬間に「おい!静かにしろ!」とか言ってみたり(笑)
昼休みは「先生絶対外来てな!」って連行されたんで、クラスのほぼ全員で遊んだりとか。何気ない日常が楽しかったですね。先生と思われてたのか、友達か分かんない感じですけど(笑) お兄ちゃんぐらいの感覚なんでしょうね。
ー親しみやすいキャラクターで、素敵な先生ですね。
嫌いな人の言うことは聞きたくないじゃないですか。だからまずは仲良くなることが絶対に大事だし、素を出せる相手になることがいちばんだと思うので。そこは意識して、楽しむときと集中するときの切り替えも大切にやってました。
教員からサッカー選手への転身を決意
ー充実した教員生活の中で、サッカー選手を志されたのはなぜですか?
子どもめっちゃ好きやし、勉強教えるのも楽しくて好きなんですけど、なんか生きてるのが面白くなくて。通勤しながらイライラすることもあって。10月ぐらいに「この感情って何やろうな」と思いながら運転してたら、「サッカーが大事じゃないからや!」って気づいたんですよ。
毎日練習もしてたし、平日は仕事で土日は丸1日サッカーの生活を送ってたんですけど、やっぱりサッカーが第一であってほしいと思ってしまって。それを思った瞬間に「今年でやめよう」と勝手に決意しました。
ーなるほど。その決意は固かったですか?
固かったですね。誰にも相談してへんし、親にも何も言うてないけど、もう何言われても変わらんやろなって。
vol.1のまとめ
先輩にバカにされながらも、母親の励ましでもう一度練習に連れて行ってもらい、サッカーを始めることになった竹川選手。その日からサッカーの魅力にどんどんのめり込みます。
そして、友人の「恭平は絶対教師になって」という言葉で小学校の教員の道へ。子どもたちに愛される素敵な先生でしたね。
そんな中で「サッカーをいちばん大切にする人生にしたい」と強く思い、教員を退職することに決めました。この先、竹川選手にはどんなドラマが待っているのでしょうか?
次回は南紀オレンジサンライズFCとの出会いや、和歌山県と教え子に対する想いをお伝えいたします。お楽しみに!
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