皆さんこんにちは!
Vリーグ西地区に所属し、ファンとともに歩み続ける兵庫デルフィーノ。さまざまなバックグラウンドを持つ個性豊かな選手たちが在籍しています。
そんな選手たちのバレーボール人生に迫るべく、今回から選手個人インタビューを連載します!
第1弾は「Mr.デルフィーノ」の異名を持つ白川佑樹選手。チームメイトへのリスペクトと熱い想いを胸に、41歳という年齢を感じさせないほどパワフルに活動しています。考え方の変化や日々支えてくださる方へのメッセージも必見です。
ぜひ最後までお読みください!
白川佑樹選手・一問一答プロフィール
Q. 出身は?
A. 長崎県佐世保市です。
Q. ポジションは?
A. オポジットです!
Q. ニックネームは?
A. 「アニキ」って呼ばれてます。
元々同じチームに弟が在籍していて、セッターでキャプテンとして活躍していました。その当時のメンバーが「アニキ」って言い出して、ずっと定着して今の子たちからも呼ばれてますね。
Q. 趣味は?
A. 趣味は日々をポジティブに過ごす方法や、成長する方法を考えながら生きることです。筋トレで自分自身と向き合うのも好きですね。あとは掃除をしてリフレッシュするのが休みの日のルーティーンです。
インタビュー本編
バレーボールとの出会いと「ありがとう」の気持ち
ーバレーボールを始めた経緯とその時期を教えてください。
小学校3年生の終わりから始めました。結構目立ちたがり屋で、力があり余ってわんぱくだったんですよ。それでお母さんと学校の先生の懇談で何かスポーツをした方がいいっていう話になったんですよね。
そのときに何がやりたいかって聞かれて。父はプロ野球選手になってほしいっていう思いがあったんです。僕は左利きなんですけど、左ピッチャーになってほしいみたいな。ただ僕、当時は親父に散髪してもらってたんですけど、動いたりするしよく丸刈りになってたんですよ。その経験があって、坊主はもう嫌だから野球はやめとこうと決めて。
その次は当時『キャプテン翼』がすごく人気があったので、サッカーをやってみたいと思いました。小学校のクラブの先生に相談したら「身長も高いしキーパーをやってほしい」と言われたんですね。「うわあ、キーパーか...どうしよう...」と悩みました。
そんな中でお母さんがやってたママさんバレーに行って、アタックを打たせてもらったんですよ。それが気持ちよくて、「これや!」と思って。それでバレー部に入りました。
小学校のクラブでも公式戦があって、勝ったり負けたり悔しい思いもするわけですよ。そうなってくると、「勝ちたい」「県大会や全国大会に行きたい」と夢がどんどん膨らんでいって。チームメイトも先生も一緒の思いで取り組んでましたね。
ー紆余曲折を経てバレーボールにたどり着いたんですね!チームメイトにも恵まれていますね。
小中高とキャプテンをやってきて。もう本当に勝ちたい一心で我が道を行ってたんで、今思えばみんなが自分に寄り添ってくれてて。熱さゆえに厳しくなったりとか、自分自身もたくさん仲間を傷つけたときもあるし。でもそれがあって人の心がわかるようになったし、今があると思うんです。
ー仲間に感謝ですね。やっぱり試合で勝つことが一番の楽しみでしたか?
やっぱり勝つことで自分自身を褒められたし、勝つことで仲間が喜んでくれて、それが嬉しかったり。学生時代はずっとその気持ちでいてたんで。
ーなるほど。その気持ちを持って中学でもバレーボールを続けられたのですか?
中学校に入ったときに、今度は『スラムダンク』がめちゃくちゃ流行ってたんですよ。
バスケ部に何十人もいる感じで。僕も小学校のとき、部活以外にもいろんなスポーツやってて、バスケもすごい好きだったんです。バスケ部の先生にも誘われたし、バスケは男子からも女子からもカッコよくて人気があったので。正直憧れたんですよね。
でも、やっぱり自分はバレーボールが好きやなって思ってたんで。まずは自分が続けてきたバレーボールで、中学校も頑張ってみようって決めました。
中学校3年生のときに長崎選抜に選ばれたんです。そのときの都道府県対抗の全国大会で、実は優勝しまして。長崎選抜として日本一になったんですね。僕もそのレギュラーでずっと出てたんで。当時選抜の練習はきつくて苦しくて、つらいこともあったんですけど、そうやって日本一になれて。やっぱり自分を育ててくださったスタッフの方々に「ほんまにありがとう」っていう気持ちが改めて出てきたんですよね。
頑張ってたらこんなに素敵なことがあるんやって。このチームで優勝できたことは今も自分の糧になってますし。
僕、41歳なんですよ。やっぱ今の同世代で続けてる選手ってなかなかいないじゃないですか。こんな自分でも優勝できたし、こんな自分でもバレーボールができてることをみんなに見てもらいたい。特に近い年代の方にお届けしたいっていう思いで今もやってるんですけどね。
ーぜひ多くの方に知ってもらいたいですね!ちなみにしんどい練習でも踏ん張れた理由は何でしたか?
1番は家族の支えですね。父ちゃん母ちゃんが応援してくれて、褒めてくれて。だからこそ頑張れました。
高校でのライバル関係、そして再び仲間へ
ー高校のバレー生活はどうでしたか?
長崎県内の公立高校の佐世保南高校に進学したんですよ。県ではそこそこ上位のチームでした。当時から長崎県では大村工業高校がすごい強くて、同じ選抜のメンバーたちも半分ぐらいそっちに進学したんですよ。そこをね、倒したいなと思ったんですよね。今度はライバルとして試合したいな、そっちの方がドラマあるやんって思って。
ー直接対決の機会はありましたか?
自分が3年生でキャプテンになったときに勝って。春高ベスト8になった大村工業を倒してひとつ夢が叶ったというか。
ー有言実行ですね!
そうですね。同じような思いを持った後輩たちがついて来てくれて。僕だけの力じゃなくて、その子たちの力もあって実現できたことです。
その後、国体の長崎県選抜のメンバーとしてまた中学の選抜と同じメンバーと一緒にやることができて、全国3位になれて。それもすごくいい思い出ですね。
ーちなみに高校のキャプテンは立候補したんですか?
我が道を行くタイプだったんで、「俺がチームを引っ張る」「俺がチームを勝たせる」みたいなマインドでいたんで。そういう思いも口にしてましたし、顧問の先生にも伝えて。仕方なく任命してくれたんじゃないかなって思いますけど(笑)
ー今でも目標や想いを口に出すタイプですか?
今はめっちゃ心に秘めてます。長く付き合ったメンバーはわかってると思うけど、多くを口にしないです。やっぱり若い子たちをリスペクトしながらやってますね。
ーそのマインドに切り替えたのはなぜですか?
毎年仲間たちとの出会いと別れがあるんですよ。
怪我だったりとか、仕事のことだったりとか、家庭のことだったりとか。20代のときは毎年泣いとったんですよ。やりたいけどできへんやつらもおるし。そういう仲間たちと出会ってきて、本当に人の心を理解して、認めることができるようになったというか。チームメイトもそれぞれ目標や夢があって同じコートに立ってるわけですから、そこをリスペクトしながら。バレーボールを通じて、かなり人として成長できたんじゃないかなと思います。
それだけドラマのあるステージにみんなが立っているんだなと思いますし、若い世代の子たちの思いをどれだけ大切にできるか自分自身に問いかけながらやってる感じですね。
Vリーグへの挑戦
ー兵庫デルフィーノに入団された経緯を教えてください。
広島で就職をして、社会人チームに入って全国大会に出場したりとか、ビーチバレーでも全国大会に出場してましたね。
その中で、兵庫デルフィーノっていうチームがあるよと聞いて。「もっと上のレベルでやりたいと思うなら挑戦してみないか」と言ってくださったんです。「やってみたいです」と返事をして、26歳の時にチームに入団しました。
ー決断するまで悩みましたか?
いや、自分がVリーグという夢の舞台に立てるとは思ってなかったんですよ。普通に就職して、バレーボールをしながらいつかは指導者になっていくんだろうなって思ってたんで。自分がプロとしてもう1回挑戦できるんだ、そういう舞台に立てるんだって思って、もう即決でしたね。
「ガチでバレーをやれる人生はあとどれぐらい残っているんだろう」って10代の頃から思ってて。その気持ちもあって、仕事も決まっていないまま広島から兵庫へ引っ越しました。一度きりの人生やから、体が勝手に動いてましたね。
ーVリーグが憧れだったとのことですが、初めてVリーグの試合でコートに立ったときの気持ちはいかがでしたか。
センターコートの体育館で、たくさんのお客さんがお金を払って見に来てくれる。ものすごく興奮しました。武者震いというか、これがプロなんやと思って。仕事もありながら、自分がどれだけ挑戦できるか。また新しいスタートでした。
ー26歳から現在に至るまで、チームの転換期はありましたか?
2部制だったVリーグが3部制になって、V3に落ちたんですよ。仲間もたくさん飛び立っていって悔しかったです。そこがひとつの転換点だったと思いますね。常に勝ちたかったですし、応援してくださる方々もずっといたんで、勝利を届けたい一心でした。
ー今のデルフィーノやVリーグの良さはどんな部分ですか。
Vリーグの良さは、選手たちを間近で応援できる機会が多いこと。ファンの方と交流ができる部分に魅力があると思います。
今のデルフィーノはすごく燃えてる選手ばかりですよ。高みを目指してるというか、夢とか目標がある選手が多い。ポジティブなんですよね。その夢や目標に向かって一途に努力しよう、頑張ろうって思っている選手が多いんじゃないかな。
チームのみんなをリスペクトしています。その毎週の練習とかで選手の目を見るんですよね。思いを汲み取ろうと思ってるんですよ。みんな悔しい思いばっかりしてるんで。
その中で澁谷杜斗キャプテンが怪我をして戦線を離脱している。けど試合に帯同してくれることもあって、すごいたくさん話ができました。あとは常にもっと頑張らなきゃって話をしてるのは岩光慎太郎選手です。
ー澁谷選手は熱い想いを持っているのが以前のインタビューでも伝わってきました。
あいつは熱いですよ。彼は結果で体現してくれるんで。すごい頼もしいキャプテンです。
ー復帰が楽しみですね!
そうですね。泣くかもしれないですね(笑)
まだ僕は彼に「おかえり」って言わないんですよ。ユニフォームを着てコートに立って、そのときに「おかえり」って言えたらいいなと思ってるんで。
アニキのドラマはまだまだ続く!
ー白川選手ご自身のアピールポイントはどこですか?
生き様を感じてほしいですね。上手い下手とかじゃなくて、最後は気持ちなんですよ。その姿勢から人に伝えられることがあるだろうし、そこにはやっぱドラマがあるので。そういう姿を見せたいですね。
ー最後に応援してくださる方へメッセージをお願いいたします。
応援してくださる方へ、ものすごく感謝しています。
僕のそばで支えてくれる、たくさんの人たちへの感謝の気持ちで今頑張れてるんです。もう自分のためだけじゃ頑張れない体になってきてるので。「アニキのバレーを見たい」「アニキを応援したい」「アニキからパワーをもらえた」とか、逆に「ありがとう」って言われることもあるので。やっぱりそういう方々がいてくれるだけで、自分が今生きてる価値があるのかなって思ってます。皆さんがそう思ってくださるのであれば、まだまだ体は勝手に動いてくれると思います。
悩んでる方とか、頑張ってる方とか、みんなそれぞれドラマがあるので。自分自身と向き合っていろんな困難を乗り越えようとするとか、挑戦しようとするとつらいことも悔しいこともあるかもしれない。だけどその経験があれば必ず人として成長できると思ってるんです。アニキみたいに気持ちだけで頑張ってるやつもいるから、ぜひ皆さんも、いくつになっても夢とか目標を持って、熱く生きてほしいなと思います。
ーこれからも応援しています。ありがとうございました!
おわりに
多くの仲間と出会いと別れを経験し、人として成長できたと語る白川選手。その熱い想いと生き様に心を動かされました。いくつになっても夢を追いかけられるということを、今後もプレーを通じて体現してくれることでしょう。
ぜひ兵庫デルフィーノの試合へ足を運び、白川選手の勇姿を見届けてくださいね。
次回は挙活系Vリーガー・檀上正健選手のインタビューをお届けします!お楽しみに!
関連サイト
チーム公式サイト
https://bakus-katana.com/delfino/
YouTubeチャンネル
https://www.instagram.com/hyogo_delfino/
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