企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
背広は高度経済成長期、ビジネスマンのシンボルでした。しかし当時の背広は高額だったため「きたきりすずめ」と呼ばれる、1着しかスーツを持たない社会人が多く見られました。なぜならば、当時の業界は多くの問屋さんが介在する商売様式で、仲介を経るごとに価格が高騰するからです。そこに郊外型のスーツ専門店が現れ、弊社と郊外専門店は直接商売をすることで、スーツ価格を抑える事業を推し進めました。安価なスーツは飛ぶように売れ、一般庶民にとって手の届く洋服となりました。しかし、新型コロナウィルスの影響で人々の生活様式は変わり、スーツは社会人として必ずしも必要な存在では無くなってきております。そんな環境下、スーツ以外にも販路を広げるべく、弊社では様々なウール生地の開発を進めております。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
私たちは創業から現在まで一貫して生地のみを販売しております。お客様にはお客様のブランド名で服にして、販売していただいております。このようにBtoBの商売に徹し、黒子としてアパレル業界を100年近く支えてきました。そして、これからもBtoBの形態を崩すことなく成長を続けていきたいと思っております。しかし、黒子だとしても最終消費者へ弊社のことを知っていただき、消費者から求められるメーカーにならなければ今後を生き残ることは出来ません。良い生地を作り続ける事は勿論のこと、SNSなど様々なツールを使い、直接的に最終ユーザーに西川毛織と西川毛織の生地の事を知っていただくことで、需要を増やす好循環を構築していきたいと考えております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た愛知地域の魅力について教えて下さい。
愛知県一宮市・稲沢市・津島市・江南市・名古屋市・岐阜県羽島市を中心とし、国内一を誇る毛織物産地である尾州産地。木曽川の豊かな水と肥沃で温暖な濃尾平野の恩恵を受けて発達し、世界でも有数の毛織物産地と栄えてきました。そんな尾州産地の強みは、糸から織物になるまでの数多くの工程を同じ地域の中で分業・協業していることです。刈った羊毛から糸を紡ぐ紡績、糸を撚って糸をつくる撚糸、糸を染める染色、デザインをおこし生地を織る製織、織った布を加工して仕上げる工程ごとに多くの方が深く関わっております。その技術力は世界中の名だたるブランドから賞賛され、今なお国内生産量の約8割の毛織物はこの尾州で生産されております。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
ファッションやモノづくりが好きなことは勿論のこと、商売が好きな方が弊社とマッチする方です。将来的には、経営理念「良い品を安く大量に生産し適正価格で販売して利益を上げる。その為の障害に尻込みしない。西川毛織全員が豊かになる為に。同業者の何処の社員より一層、努力し苦難に耐え抜く事。西川毛織全員が豊かになる為に。」を理解して体現し、自分のため、会社のため、産地のために働くことが出来る方にご応募いただきたいです。
ひとを知る
代表取締役社長
西川隆造
立命館大学卒業後、百貨店向けアパレルの大手だった互洋株式会社へ入社。アパレル業界のイロハを学び、1986年に西川毛織へ入社。2002年に代表取締役社長に就任。当時は数ある尾州毛織物会社の中の1社という位置づけだった会社を売上高、生産量ともに尾州 No.1まで押し上げた。現在では高齢化と共に失われていく尾州の技術を継承するために雇用と設備投資を積極的に行う。
SDGsへの取り組み
- 【6】NPO法人と連携しエチオピアやカンボジアに井戸や水源を提供する活動に取り組んでおります。
- 【12】織物メーカーとして生産過程で出た羊毛のクズを糸として再利用する活動や、ファッション専門学校と提携し、倉庫に眠っている大量の見本生地を学生さんに無償提供しファッションコンテストを行っております。
- 【14】家庭洗濯時に発生する大量のマイクロプラスチックが海に放出されている事に注目し、海でも生分解される羊毛繊維を消費者に少しでも使って頂けるように展示会を通して啓蒙活動をしております。
企業プロフィール
企業名 | 西川毛織株式会社 |
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所在地 | 〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄一丁目12-15 |
創業年 | 1929年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 西川隆造 |
事業内容 |
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求人応募ページ | 西川毛織株式会社 採用サイトリクナビ2025 |
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