企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
自然豊かな青梅市で1907年「平岡織物」として創業。ふとん地の生産工場として事業を始め、多くの賞に輝く独自の綿織物を出荷しました。その後、1972年に社名を「平岡産業株式会社」と改め、今日の礎を築く精密部品の製造へと転換。そして1995年にE&Hタイを設立。カーオーディオやカセットテープの部品、さらに二輪や自動車の精密部品を製造し、品質・コスト・納期の最優秀賞を数多く受賞。2010年にE&Hインドを設立。堅調な経済成長を遂げる大国インドで、旺盛な需要を背景に超精密部品の量産体制を確立し、現地スタッフの育成、技術革新を今日まで継続。平岡産業グループは世界を舞台に挑戦し続け、躍進を遂げてきました。

御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
平岡産業グループの強みは、アジア最大級の旋盤台数を保有していること。続いて、切削工具の内製化。さらに沸騰国タイ、インドに生産拠点を展開していることになります。自動旋盤を約1000台所有し、圧倒的なスケールで超精密部品の安定量産の実績がございます。また通常購入するチップやドリル等の切削工具を内作とし、顧客へのコストメリット及び試作の迅速な提出が可能となりスピード面での信頼を獲得しています。さらには、ASEANを牽引するタイ、爆発的な成長を遂げる大国・インドに他社に先駆け早期に生産拠点を持ち、飛躍的な成長が期待される両市場でスケールメリットを生かした生産活動を継続しております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た多摩(東京)地域の魅力について教えてください。
西多摩に位置する青梅市で創業した当社は、100年以上に渡りこの地とともに歩んできました。本社を裏山から見守る久平稲荷神社は、弊社の歴史と深く結びついています。起源は1774年(安永3年)に遡り、初代・平岡治左衛門が京都伏見稲荷より神霊を奉迎したことに始まります。この神社は、創業以来「ツキを呼ぶ」幸運の源として、社員や地域の皆様に永く親しまれてきました。青梅市には、こうした長い歴史と文化を持つ神社仏閣が数多く存在し、街の至るところに伝統の息吹が感じられます。私たちはこの歴史ある青梅市の地で培った技術と精神を受け継ぎ、青梅スピリットをグローバルで発信し、世界のものづくりに貢献しております。

企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
海外で働く日本人として、現地のスタッフから見本となるような模範的な人間であることが大前提です。挨拶や礼儀、信頼関係の構築を築く姿勢があるかが重要になります。その上で、弊社は「成長意欲と素直さ」がある人材を求めています。学び続ける意欲があり、素直で一所懸命な方が活躍できるフィールドとキャリアアップをご用意しています。また本文の記入者は社長長男です。120年紡いできた歴史ある当社を、私とともに飛躍的な成長を実現する未来を描くことができる右腕人材も募集しています。自らの力を試し、ダイナミズム溢れるグローバルな舞台で挑戦したい方は是非ご応募下さい。海外生活のケア・サポートも寄り添い行います。

ひとを知る

代表取締役社長&CEO
平岡泰浩
25歳の頃、家業へ入社。当時、売上高3億円・従業員数25名の町工場の中、1995年、競合他社に先駆けてタイに進出し、E&Hタイ を設立。一から顧客開拓に翻弄する日々を過ごし、先行者利益を最大限に獲得することで著しい成長を遂げ、タイで切削といえば「E&H」というブランドを確立。勢いそのまま2010年にE&Hインドを設立。現在は売上高105億円・従業員数1400名の青梅発のグローバル企業に。
SDGsへの取り組み
- 【4】リーダーシップジャーニーや理念教育など充実した教育プログラムを提供し、多様なバックグラウンドを持つ社員がそれぞれの能力を高め、成長できる環境を整えています。
- 【8】管理部門の基幹系システム、ものづくり部門の生産管理システム、営業のIT活用による業務革新など全社的にDXを推進し業務効率化を図っています。
- 【12】部品加工後の廃材と切削油を分離し、廃材は売却することで産業廃棄物を発生させないよう管理。また、切削油はリサイクルして再利用することで、資源の有効活用を促進するとともに、環境負荷の低減に取り組んでいます。
企業プロフィール
企業名 | 平岡産業株式会社 |
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所在地 | 〒198-0081 東京都青梅市上町367 |
創業年 | 1907年創業 |
代表者 | 代表取締役社長&CEO 平岡泰浩 |
事業内容 |
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