企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
1914年に葡萄農家として創業し、その後葡萄酒(ワイン)の醸造・販売をしていたチョーヤは、創業者の「ワインの輸入が自由化されれば日本のワインでは世界に勝てない。日本独自のものを造ろう」という一声で1959年に梅酒製造への転換を図りました。しかし当時の梅酒は家庭で作るのが常識で、売れない状況が長く続きます。そのような中でも品質を第一に商品開発や広告、販売活動を粘り強く続けた結果、ライフスタイルの変化に伴い「商品としての梅酒」が認知され需要も拡大しました。2000年には社名を「蝶矢洋酒醸造」から「チョーヤ梅酒」に変更し、現在は国内はもとより世界90ヶ国以上でチョーヤ梅酒が販売されております。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
チョーヤの強みはまず、使用する梅の「質」「量」「熟成」です。チョーヤは紀州産南高梅を中心に国産梅を100%使用。「梅酒づくりは梅づくり」、「梅づくりは土づくり」という考えのもと、半世紀以上にわたり梅生産者の方々と一緒に梅酒に適した梅づくりに取り組み、熟度が高く香り豊かな梅を厳選しております。その高品質な梅をたくさん使い、光・温度・空気など外部からの影響に配慮した専用の貯蔵タンクで約1年以上、静かに熟成。梅の果肉と種の成分をたっぷりと抽出することでチョーヤならではのおいしい梅酒になります。また、チョーヤの梅酒は酸味料、香料、着色料を使用しない「本格梅酒」。こちらも大きな強みです。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た河内地域の魅力について教えて下さい。
チョーヤは1914年に駒ヶ谷村(現 羽曳野市駒ヶ谷)で葡萄栽培農家として創業し現在に至ります。羽曳野市は今でも葡萄やいちじくなどの果樹栽培が盛んで、また応神天皇陵古墳をはじめたくさんの古墳を擁する自然と歴史豊かな地域です。そのような環境から地元開催のイベントも多く、チョーヤ製品も地元特産品として大変お世話になっております。チョーヤでは現在、葡萄を原料としたワインは醸造しておりませんが、創業の地である羽曳野市駒ヶ谷に本社を置き、地域に貢献できるよう努力してまいります。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
チョーヤのスローガンは【とどけ、梅のちから。】です。日本古来からある梅の魅力を日本の方にも、海外の方にも届けるのはチョーヤ梅酒が一番最初でありたい。そのような想いを持っています。だからこそ、まずは社員自身が「チョーヤ梅酒好き」であってほしいのです。そして、好きなものを発信したいというポジティブなパワーで色々なことにチャレンジしてほしい。こうした<好き>を<情熱>に変えられるような「チョーヤ梅酒を届ける仕事がしたい」と思っていただける方と出会いたいと思っております。「梅酒」の中の1ブランドではなく「CHOYA」というひとつのブランドを一緒に創ってまいりましょう。
ひとを知る
代表取締役社長
金銅重弘
1954年大阪府羽曳野市生まれ。和歌山大学卒業後、大手電機メーカーに入社。その後1983年に、蝶矢洋酒醸造(現 チョーヤ梅酒)に入社。商品企画や海外販路の開拓に従事した後、2007年、チョーヤ梅酒株式会社社長に就任。「チョーヤにしかつくれない梅酒」を合言葉に、同社の技術を結集した梅酒の商品を次々と世に送り出している。
SDGsへの取り組み
- 【8】梅をたくさん使用し、毎年安定した量の梅を購入することで梅産業にかかわる方と共に梅の普及に務めます。
- 【12】梅酒をつけた後の梅で販売できないものは飼料や肥料に利用するなど廃棄を無くす努力をします。
- 【15】梅の新品種の普及や、産地の収穫・選果作業の軽減に取り組み農産業の持続性を追求します。
企業プロフィール
企業名 | チョーヤ梅酒株式会社 |
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所在地 | 〒583-0841 大阪府羽曳野市駒ヶ谷160-1 |
創業年 | 1914年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 金銅重弘 |
事業内容 |
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