企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
あべ農園の歴史は初代庄吉が戦後、国が奨励した未開拓地の開墾で鍬とスコップだけで原野を切り拓いたところから始まりました。川が遠く、陸稲や芋を育てる貧しい農家でしたが、2代目の良一は両親を助け中学生から懸命に働いたそうです。こうして購入した田んぼで生活できるようになった矢先、国の減反政策が下り、米に代わるものとしてスイカ栽培への挑戦が始まりました。1973年に初めて収穫できたスイカを市場に出しましたが、冷夏の影響で収入にはならず、その翌年も天候不順と当初はなかなか芽の出ない日々が続きました。「去年の二の舞か」と失望していたところ、「私が売る」と妻の敬子が言ってくれたことがきっかけで、世の中で直売所ブームが起こる20年も前に、間借りした駐車場の一角に張ったテントでまだ幼い息子の真一をおぶってスイカ販売を開始しました。これが「あべ農園直売所」誕生に至るまでの道筋です。
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御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
有限会社あべ農園の強みはお客さんとのつながりです。「人」は経営資源であるという考えのもと、阿部家のみならず従業員のコミュニケーション能力が非常に高いことがこの強みにつながっていると考えます。また従業員それぞれにお客さんがついており、お客さんにはどうしても「その人」にスイカを選んでもらいたいと言われます。
そして何より、コロナ禍においてもうちのスイカを求めて、買いに来てくださったファンのようなお客さんの存在が非常に大きいです。本当にあらゆる「人」に助けられて、ここまで来ることができたと思っております。「最期にここのスイカが食べたいと母が言っていて、送ってほしいの」とアメリカ在住のお客さんからメールが届いた際は、本当に震えました。一同、身が引き締まる思いでした。「ここに来るのが楽しみなのよ」と思ってもらえる田舎の「夢の国」のような観光農園になる、それが有限会社あべ農園の目標です。

御社が考える地方創生・SDGsについて
御社が考える地方創生・SDGsについて教えてください。
地域からは保育園がなくなり、小学校もなくなり、とうとう地域の中学校も統合されました。子供の姿は見かけなくなり、高齢化は否めません。そこで有限会社あべ農園がこの地域にあることで、たくさんの人を集めてにぎやかな交流の場をつくっていくことを目指しています。また、この土地でともに生きる人生の先輩である高齢者を巻き込んだ活動を行うことで、健康増進や地域の活性化に繋がると考えています。環境面については、地元の尾花沢牛の牛糞をたい肥として活用し、地域で出た糠と混ぜて使用するなど、循環型農業にも取り組んでいます。これからも、この土地に生まれ育んでいただいたことに感謝し、恩返しをしていきたいです。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
まずは基本的な「挨拶」をきちんと交わせる方を歓迎します。農業に関心をお持ちの方はもちろん、夏季限定の短期勤務を希望される方もぜひご応募ください。自然を相手にする仕事のため、体力や健康に自信のある方には特におすすめです。また、真面目で誠実、そして人や自然に対して思いやりの心を持てる方は大歓迎です。未経験でも意欲があれば大丈夫。仲間と協力しながら汗を流し、実りある時間を共に過ごしましょう。
ひとを知る
代表取締役
阿部 真一
雪と花笠踊り発祥の地、山形県尾花沢市に生まれ、東洋大学卒業後、家業農家の3代目を後継。尾花沢すいかをはじめとした農産物の生産販売する直売所等を両親から受け継ぎ、拡充してきた。農業を通じて、多方面での恩返しができたらという思いもあり、日々模索と勉強、挑戦している。
SDGsへの取り組み
- 【12】GAPの基準を厳守しながら、消費者の方へ安心・安全な農産物を生産しています。
- 【15】化学肥料だけに頼らず、有機質由来の肥料を使っています。農薬に関しては、その基準を満たして使用するのはもちろん、在来生物や環境に配慮した使用を心掛けています。
企業プロフィール
| 企業名 | 有限会社あべ農園 |
|---|---|
| 所在地 | 〒999-4556 山形県尾花沢市名木沢1787-3 |
| 創業年 | 2001年創業 |
| 代表者 | 代表取締役 阿部 真一 |
| 事業内容 |
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| WEBサイト | リンクはこちらから |
| 企業ロゴ | ![]() |

























































