企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
創業者は50年前、輸入合板のパイオニアとして起業いたしました。当時は国内合板メーカーの全盛期で、輸入合板はマイナーな存在でしたが、現地から有利に調達した輸入合板をニッチなニーズに合わせて自社加工しはじめたのが株式会社センエイの原点です。そして、1986年に大規模な塗装設備と共に法人化いたしました。2005年の第2創業直後は、国産(針葉樹)合板の取り扱いにおいて品質・コスト・納期での高い評価をいただき、合板加工の開発工場としてシェアを拡大してまいりました。合板塗装については仮設床と冷凍船市場への参入を開始し、さらなる販路の拡大を図っております。勤続20年のベテランに新卒から育った中堅、そして現場叩き上げ組が融合した組織は、経済産業省のDX 認定と共に新時代に挑戦中です。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社のマテリアル事業部が取り扱うメイン事業である合板加工は、合板の調達力とワンストップの加工設備の組合せで総合建材メーカー様向けで高シェアを誇っております。また、プロダクツ事業部の扱う合板塗装設備は全長4000メートルと国内最大級で、当初のコンクリート型枠用から仮設ハウスやコンテナ床、冷凍船向けなど塗料の性能やカラーで多方面に展開中です。オリジナリティの高い製品をインドネシアやラトビアなどの合板生産国から調達しており、新技術を投入した新製品の開発と併せて、設備の大規模更新を計画しております。さらに、2023年11月には中堅・若手を中心にDX化プロジェクトを推進し、経済産業省からDX認定を取得いたしました。今後も社内の業務改革に加え、中小企業向けDX支援の事業化を進めてまいります。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た堺・泉州地域の魅力について教えて下さい。
弊社の位置する岸和田市木材町は、ものづくりと物流における陸海空の要衝です。湾岸高速から連絡橋を渡れば関西空港。これこそが世界に1番近い城下町と言われる所以です。そして北へ向かえば大阪市内まで約30分のアクセス。泉北港は大阪南港とも連携し、船舶貨物を受け入れる港湾設備が整っております。そして木材町の名のごとく、半世紀以上前から木材加工拠点として埋め立てが始まっていた大阪木材コンビナートがあります。日本の高度経済成長期に、域内の合板工場が活用していた貯木場にもはや原木は浮かんでおりません。この80ヘクタールもの水面を湛えるウォーターフロントのたたずまいは、未来に向かって、泉州がさらなる発展を遂げる可能性を秘めております。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
「明元素」。明るく元気で素直な方を弊社では求めております。人柄重視の採用を続けることで弊社に蓄積された社風をこれからも大切にしてまいります。そして木材を加工するメーカーとして、地球環境への感謝の意味からも「大地と太陽の恵みを感じ、それらに育まれた木を愛する」という経営理念の文言に共感できる方を歓迎します。また、ものづくりの現場に求められる生産性の向上は「お客様の喜び」を糧としており、それを実現するためのDX推進は社員ひとりひとりの「自らの成長」と「たゆまぬ挑戦」を求め、「実りある人生」の実現を目指しています。環境との調和のなかに自然を愛し、ものづくりの革新にデジタル技術で立ち向かう若者を歓迎します。
ひとを知る
代表取締役社長
間﨑泰光
1987年大阪外大を卒業後、父の会社に入社。同年インドネシアに赴任してジャカルタ支店を開設する。2000年にグループ製造部門の株式会社センエイの社長に就任。2005年グループ会社破綻により単独経営となり、本社を工場内に移して第2創業。「合板加工の開発工場」と銘打ち、創業以来の取扱品目である合板の加工・塗装をワンストップで実現する。2020年に大阪木材コンビナート協会副会長、2023年に泉州倫理法人会会長に就任し現在に至る。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社センエイ |
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所在地 | 〒596-0011 大阪府岸和田市木材町15-4 |
創業年 | 1973年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 間﨑泰光 |
事業内容 |
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