企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
お線香の香りの原料は漢方生薬です。その中から「香」の原料を取り扱っていたのが「沈香屋」でした。創業享保年間に、初代沈香屋久次郎として堺で商いを始めました。堺はお香・線香の一大拠点であり、戦前64社、堺薫物線香商組合に加盟しておりました。戦争中堺は大空襲にあい多数の線香職人は亡くなり、機械は焼け戦後の復興から遅れ、現在では堺線香工業協同組合に属する組合員は弊社も含め7社となりました。
瞑想する時に「お香」を焚く提案を全世界に発信、ビートルズのアップル・コア社からも注文が入りました。又アロマテラピーと「お香」をドッキングさせた商品を開発、関西の魅力ベンチャー企業(近畿通商産業局)に取り上げられました。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
「継承」することがどれほど大切で難しいかを痛感しております。先代の方々に感謝申し上げると共に、堺のお香・線香の文化を守る事の重大さを身に染みておりますが、しかし楽しみでもあります。8代目は戦後高度成長時代に様々な挑戦を行ってきました。多数の失敗もありましたが、波紋を広げた事業も多くありました。その連続により今の奥野晴明堂があります。
私自身8代目から挑戦すること、やり続けることの大切さを学びました。私が9代目を引継いだならば、時代に合った商品開発、新しいマーケットへの挑戦を行い、堺・泉州の方々にとって、歴史の深みの中に堺線香が「誇り」となるよう未来へと続けていければと思っております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た堺・泉州地域の魅力について教えてください。
堺は、3度の戦火から立ち直った歴史があります。その為不死鳥「フェニックス」がよく用いられます。なぜそれだけ戦火に襲われたのか?国内外から見ても魅力のあった「まち」だったからです。室町時代最後の堺幕府や、黄金の時代と言われる貿易が盛んで巨万の富を得た時代がありました。
鉄砲の生産量世界一という時代もありました。なぜ世界一の数の鉄砲がこの堺で作ることができたか?それは当時世界では行われていなかった「分業」という作業によりそれが成しえたと言われております。その「分業」により堺包丁ができたり、泉州は繊維の街として発展をしてきました。この堺・泉州の魅力は「ものづくり」と「文化」が息づく地域です。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
人生いろいろとあると思います。そして人生は1度きりです。ある方から聞いたことがあります。我々に与えられた唯一の「平等」とは1日24時間あるという事です。その時間をどれだけ大切に使うことができるか!そして人生をどれだけ楽しめるか!を僕自身追求しております。
「人生を楽しむ」とは決して遊び惚ける事ではありません。「自利利他」という言葉があるように、仕事を通じて自分が「人」にどれだけの幸せを、もたらすことができるかを考え行動することだと思っております。それが自分の幸せにつながるのではないでしょうか!同じ思いを共有できる方と共に、仕事がしたいですね。
ひとを知る
代表取締役
奥野 浩史
日本経済大学卒業後、㈱カンペハピオに入社。3年後家業である奥野晴明堂に入社。株式会社奥野晴明堂代表取締役に就任。代表取締役ではあるが、父奥野圭作8代目沈香屋久次郎のもと修行中の身である。人生は一生勉強であるという思いから、堺高石青年会議所に在籍、今堺ライオンズクラブに在籍、堺線香工業協同組合の代表理事、日本薫物線香工業会の理事、堺山之口連合商店街振興組合理事、熊野小学校PTA会長
企業プロフィール
企業名 | 株式会社奥野晴明堂 |
---|---|
所在地 | 〒590-0952 大阪府堺市堺区市之町東6-2-15 |
創業年 | 1716年創業 |
代表者 | 代表取締役 奥野 浩史 |
事業内容 |
|
WEBサイト | リンクはこちらから |
企業ロゴ |