企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
弊社は、1624(寛永元年 甲子)年 に内町(1571年)が拡張された引地町で創業いたしました。当初は米穀や中国 福州の砂糖などを取り扱っており、本格的に菓子製造を開始したのは3代 市左衛門の頃です。5代までは引地町に店舗を構え、6代 市良次事大輔の時に店舗を思案橋近くの船大工町に移転しました。明治に入り、12代清太郎が中国にて桃と並んで慶事・幸運の印として大切にされてきた蝙蝠を商標といたします。そして昭和24年の戦中戦後の混乱期、14代史郎が天皇陛下の長崎御臨幸の折に、弊社のカステラを献上したことを機にカステラの生産を開始。お陰様で2024年に創業400周年を迎え、現在に至ります。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
創業当時より、変わらぬこだわりの製法を守り続けております。1つ目は、材料の混合・撹拌・焼き上げまでの全工程を1人の職人が仕上げる「一人一貫主義」。2つ目は卵をまず黄身と白身に分け、白身を十分に泡立ててから黄身や砂糖などの材料を加える「別立法」。そして3つ目に、カステラの底に双目(ザラメ)糖を残すのが長崎カステラの特徴です。弊社では材料を撹拌する際、双目糖の角を擦り減らしながら生地になじませ、その一部を沈ませて底の方に残すという製法で焼き上げます。これには綿密に調整した生地づくりが必要です。焼き上げてからは一昼夜熟成させ、さらに甘みとコクを引き出します。こうして完成したカステラは厳しい検査を経て、お客様にお届けしております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た長崎地域の魅力について教えて下さい。
長崎は1571(元亀2)年にポルトガルとの国際貿易港として長崎港が開港した時代より、東西文化の出会いと交流ができる唯一の自由交易都市でした。鎖国政策の折も、長崎は鎖国の窓として海外からの風を常に感じることが出来る街で、この海に向かって開かれた長崎で幾世を経てカステラは日本の風土と共に和菓子へと美味しく変容したのです。そして西洋医学や蘭学、書籍の情報を学ぼうと全国各地から各藩の使命を担う若者が遊学地として長崎を訪れたことで、カステラも情報と共に全国へ広まりました。現在も日本全国より多くの観光客が来崎されます。また長崎港は天然の良港でもあり、近年では大型客船にて海外からの観光客も増加しております。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
お陰様で弊社は、2024年で創業400周年を迎えました。これもひとえに弊社商品をご愛顧いただきました多くのお客様、地域の皆様のお陰です。弊社商品をご用命くださるお客様の期待を裏切らないためにも、製造する社員・包装する社員・販売する社員が全ての工程に「誠実」な気持ちをもって、心を込めたカステラをお届けする必要があります。そのため、お客様のご期待にお応えできるよう誠実な方が望ましいです。また食品製造販売業にあたるため、清潔な身だしなみはもちろんのこと衛生管理に充分注意を払うことのできる方に来ていただきたいと考えております。ご興味をお持ちになった方はぜひご応募ください。
ひとを知る
代表取締役社長
殿村育生
1976年3月に慶應義塾大学を卒業後、同年4月に家業である株式会社福砂屋に入社し、生産部として弊社のこだわりの製法(手づくりによる家伝の製法)を継承する。その後営業部・総務部を経て、1985年4月専務取締役に就任。2002年8月には株式会社福砂屋 代表取締役社長に就任し、16代目の当主となる。県観光連盟・商工会議所・経済同友会・法人会・県サッカー協会等の活動にも従事。
SDGsへの取り組み
- 【2】弊社では、「カステラ×スポーツ」と題し、補食としてのカステラの可能性をご提案しております。
- 【12】誰もが安心してお召し上がりいただけるよう、安心・安全な商品の提供と食品ロス削減を目指しております。
- 【16】被爆地である長崎に本店を構える弊社は、世の中が平和で誰もが美味しくカステラをご賞味いただけるような世界を目指します。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社カステラ本家福砂屋 |
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所在地 | 〒850-0904 長崎県長崎市船大工町3番1号 |
創業年 | 1624年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 殿村育生 |
事業内容 |
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