企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
丸正屋初代は明治45年生まれ、創業は定かでありませんが少なくとも昭和17年以前、現在の新宿東側かつてワシントン靴店があった場所で額縁ガラス店を営んでおりました。当時は宮内庁の方々が馬に乗り額縁と板ガラスを買いに来られたそうです。その後戦争で疎開、経緯を経て昭和29年大和村鶴間へ移転開業。板ガラスに関わるお仕事が徐々に増えていきました。二代目の父は昭和38年頃より、三代目であります私は平成9年より業務参加。ガラス修繕から業務幅を拡大しガラス工事全般、窓リフォーム全般を学び・研究を重ねながらお客様の抱える窓の問題点や課題を改善する業務に没頭し、幅広いエリアからご依頼頂く現在があります。感謝です。

御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
今やどんな住まいでも、建物としての性能は行き着くところまで来ています。一般的に違いや不足があるのだとすれば間取りとインテリア等です。四季により寒暖差と湿度変化の大きい日本では冷暖房設備も充実しておりますが、一方ずっと変わらない「課題」が1つあり、それは建物の気密性能です。日本古来の建具様式から続く窓の気密性能は殆ど変わらず、窓際のひんやり感や熱と音の伝わりが躊躇に感じる原因は隙間です。弊社は住まいの快適性弱点が窓にある事、窓の隙間が快適性能を低下させている事を自社の試験で多数比較し明確にその差を捉えました。高性能な内窓と高品位な施工で唯一、本当の快適空間を実現できる事を全国へ発信してゆきます!

御社が考える地方創生・SDGsについて
御社が考える地方創生・SDGsについて教えてください。
弊社の考えるメインテーマは「働きがいも経済成長も」です。私たちが窓に関わる業務で最も力を注いでおります、窓の高気密が住まいと大切な暮らしを救う!という内容が、建設業界の大切な一部を支え、業界の活性化につながると考えます。社会的に全てが競争の中にあった資本主義経済、建設業界は特に競争が激しかったと私たちは感じます。お客様が求める工事に対して「価格」が重要視され、向き合う職人の見えない技術は同一視される受注までの対応はとても苦しいものでした。お客様に真に価値のある内容と想いで正直に対応するだけで、丸く循環する社会を創生し若い方々に建設業で働きたい!という社会を目指し、今日も元気に活動しています。

企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
若干名、中途採用の検討、また同業者様とのお繋がり、連携プレーのできる業者様を検討いております。弊社の求める人物像・お仲間は、今目の前の人・お客様を一番大切にできる方です。人柄も優しさも誠実さも大切だとは思います。しかし、分け隔てなくあらゆるお客様へご満足という「安心」をお届けするには、一番に受注を目指すことではなく、今この瞬間の爽やかな対応を積み重ねた結果、それは自然に循環するものだと考えるからです。その様にしていれば、必ず知識は培われ、技術は磨かれてゆくことでしょう。そしてそれはその本人の人生の豊かさになるからです。その様なご縁がございましたら、大変光栄と存じます。

ひとを知る

代表取締役社長
中村 由多佳
大学卒業後一般企業に勤務する中、ガラス工事店を自営業する父が大怪我で入院。一大奮起し三代目として僅かな経験を頼りに職人を始めました。将来は自ら切り開くものだと発起した私は、持ち前の閃きと行動力、突きつめる個性を信頼し2001年ホームページを開設。未経験な商品も自ら試し、その経験をもとに取扱商品を拡大。弊社オリジナルの高気密、完全オーダーメイドの内窓「THE WINDOW.」を開発し、全国区へ拡大中。
SDGsへの取り組み
- 【8】新しいチャレンジを心がけ、独自性と技術の向上で業界から日本の成長を支え働く喜びは生きる華を咲かせます!
企業プロフィール
企業名 | 有限会社丸正屋 |
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所在地 | 〒242-0005 神奈川県大和市西鶴間1丁目2-4 |
創業年 | 1943年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 中村 由多佳 |
事業内容 |
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WEBサイト | 結露対策研究室丸正屋新潟 |
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