企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
弊社のある千葉県富津市の飯野地区は歴史がある地域です。祖父・和平は飯野地区で行われていた素人花火を戦前から農業をしながら仲間たちと深夜まで打ち揚げていたそうです。なぜ花火が盛んだったのかというと、飯野地区には江戸時代に徳川家とゆかりのある飯野藩の飯野陣屋(小藩の政庁が置かれた屋敷)が置かれ、富津市内には譜代大名の阿部氏の居城だった佐貫城もありました。江戸湾に面した富津市には幕末期、外国船に対する海防のため飯野・佐貫両藩によって複数の砲台が築かれました。砲台には火薬庫があり、一旦緩急あらば狼煙(のろし)を上げることになっていました。火薬の歴史ある地区なので花火もこの時代から続いているのかと思います。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
弊社は現在、千葉県内を中心に市町村主催の花火大会・地域のイベント花火・個人的なプライベート花火を打ち揚げております。市町村主催の花火大会は数十年前までは市町村の予算と地域の会社からの寄付金で行われていましたが昨今では、予算と寄付金の他にお客様へチケット販売を行っている大会が大半です。花火は、100m以上の高さに上がるよう開発しているため、障害物がなければ数キロ先からでも良く見えます。そのため、全国的にもチケット販売が好評でこのような花火大会はますます増えると思います。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た千葉地域の魅力について教えて下さい。
富津市は気候温暖で海の幸・山の幸に恵まれており、海と山々に囲まれた自然豊富な観光都市です。市名の由来は日本武尊伝説によるものとされています。嵐を静めるために海に投身した袖が海岸に流れ着いたことに由来する(布流津)。この布流津(ふるつ)が転じて富津になったとされております。特に縄文・弥生時代を通じての古墳の遺跡は有名であり、中でも飯野地区にある内裏塚は県下でも最大級の前方後円墳として名高いです。飯野陣屋は慶安元年(1648年)に初代飯野藩主 保科正貞 様が築かれました。周防徳山藩の陣屋、越前敦賀藩の陣屋と並んで「日本三大陣屋」と呼ばれております。署名な出身者は浜田幸一氏・浜田靖一氏などが居ます。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
現在、日本において花火は四季を通じて全国で打ち揚げられている非常に人気のあるイベントです。四季を通じて行われますが全体の7割から8割は、やはり夏季に行われます。近年は数十年前よりも猛暑日が多く、花火仕事は健康であることが非常に大事なため、熱中症にも気を付けております。花火職人は3Kと呼ばれる過酷な環境で、実状として高給は期待できない職業です。しかしながら、打ち揚げ場所の規模や人気の差はあれど、数十人から数百万人のお客様がお見えになる場所で打ち上げることができ、実際に多くの方が喜んでくださっていることも事実です。過酷な環境であっても、その喜びには代え難いものがあります。そのため、花火仕事は多くの方に喜んでもらえることにやりがいを感じる方が向いております。
ひとを知る
代表取締役社長
立石泰之
1970年、千葉県富津市生まれ。千葉県立天羽高校を卒業し、有限会社立石煙火製造所に入社。花火師の祖父・和平と父・榮に師事する。花火仕事の他に30代からボランティア活動・奉仕活動を積極的に始める。現在は2012年に入会した「富津シティロータリークラブ」を中心として奉仕活動を続けている。2018年に、ふるさと富津市にて東日本大震災の犠牲者への追悼として「東日本大震災追悼~祈りの花火in竹岡」を始める。
SDGsへの取り組み
- 【1】地域の「子供食堂」や東日本大震災で被災した宮城県石巻市の子供たちの支援をしております。
- 【5】世界中の人々はすべての事で平等・公平な社会であってほしいという想いから、女性の従事者を積極的に採用しております。
- 【11】弊社は煙火の製造・打揚を行い、皆様へ笑顔と感動を提供し、千葉県を中心に「住み続けられるまちづくり」に寄与します。
企業プロフィール
企業名 | 有限会社立石煙火製造所 |
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所在地 | 〒293-0002 千葉県富津市二間塚731 |
創業年 | 1948年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 立石泰之 |
事業内容 |
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