企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えて下さい。
初代園主の佐藤専治は昭和初期の頃、地元の高校の農業学科(現在の秋田県立増田高等学校)で教諭を務めており「ミツバチが農業に与える影響の多大さ」を生徒たちに教えるために、授業に養蜂を導入しました。これがきっかけで彼自身が養蜂の奥深さに夢中になり、自分でも自宅でミツバチを飼い、小さな養蜂園を始めました。しかし当時の佐藤家では牛・ヤギ・鶏など様々な家畜を飼育していたためまだ養蜂一本というわけではなく、あくまで養蜂は小規模です。その後は息子である秀雄が2代目となり、ミツバチ以外の家畜を廃業。養蜂事業のみを拡大させました。現在はその息子である長が3代目代表として、養蜂業を代々継承しております。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えて下さい。
秋田県は県土の7割以上を森林が占め、水も空気もキレイ。広大な自然から採れる純粋ハチミツは風味が良く、栄養豊富で絶品です。しかし雪国である秋田県ではまともにハチミツが採れるのは1年のうち約3ヶ月間だけです。この期間にいかに良質なハチミツを効率良く、十分な量を採蜜できるかが養蜂家の腕にかかっております。もちろん冬期は南の温暖な地方に移動し1年中ハチミツを採る方法もありますが、当園はあくまで秋田県産のハチミツにこだわり、ミツバチの管理から瓶詰めまで一切の工程を外注せず、自家製造で行なっております。また花粉交配用のミツバチを果樹園や農家さんに貸出し、農作物の受粉を促進し、農業生産量の底上げにも寄与しております。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た秋田地域の魅力について教えて下さい。
横手盆地は奥羽山脈の麓に位置し冬は雪に閉ざされ、昔から独特の方言や食文化(特に発酵食品や保存食)が発達してきました。自然豊かで四季の移り変わりがハッキリしており、春夏秋冬いつでも美しい山里の風景を観ることができます。田舎なので何かと不便も多いですが、夏は花火大会や盆祭り、冬はスキーやかまくら祭り等、その季節を全力で楽しみ受け入れる「自然とともに生きる」精神と県民性が根付いております。また子どもの数が少ないので手厚い教育を受けることができ、全国的にみても秋田の子どもたちの学力が高いことが知られております。意外かもしれませんが、ハチミツの生産量は全国3位(東北地方では1位)です!
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えて下さい。
季節限定の作業が多いため、現在従業員の募集は行なっておりませんが、繁忙期を中心に不定期で臨時アルバイトの募集を行うことがあります。その際に求める人物像は、①イライラしにくい穏やかな方(自然が相手のため思い通りにいかないことが多いです)・②人間ではなく自然環境が主役だと理解できる方(ミツバチに刺される・スズメバチや熊に出くわすなど危険な場面もあります)・③責任感の強い方(食品を製造するため失敗は許されません) 。この3点をクリアしている方です。また、運転免許をお持ちの方を優先します。経験や年齢性別は不問ですが、力のいる作業や移動が多いので体力のある方を歓迎いたします。
ひとを知る
代表
佐藤長
1956年 秋田県横手市増田町に生まれる。東京の大学を卒業後、地元企業へ就職しサラリーマンとして働く傍ら、代々家業として受け継いできた養蜂業の手伝いも始める。秋田県の広大な自然を相手に、会社員とは全く違った苦労を味わいながらも「農魂蘇生」の理念をもって家業に邁進し、積極的に販路を拡大する。現在は会社員を引退し養蜂業に専念。生まれ育った故郷の活性化に貢献するべく、後進の育成にも励んでいる。
SDGsへの取り組み
- 【5】養蜂は年齢・性別関係なく活躍できる仕事です。蜂場見学会の際は子どもから大人まで希望する方すべてにご参加いただいております。
- 【8】現在市場に流通しているハチミツのうち国産の純粋ハチミツはわずか1割以下で、さらに養蜂家人口は年々減少しております。日本の未来に養蜂を残すべく、イベントでの情報発信を中心にPRしております。
- 【15】温暖化・森林の減少に伴い、蜜源植物の保全は今後の養蜂業において死活問題です。そのため、不定期ではありますが、ミツバチと植物の関係性を知ってもらうためのワークショップを開催し、より多くの方に自然保護の大切さを発信しております。
企業プロフィール
企業名 | 横手養蜂園 |
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所在地 | 〒019-0715 秋田県横手市増田町八木字屋布合233 |
創業年 | 1935年創業 |
代表者 | 代表 佐藤長 |
事業内容 |
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