企業のこれまでとこれから
御社の創業から現在に至るまでの歴史について、転換点となった出来事を含めて教えてください。
創業は1979年。地域の7戸のみかん農家が集まり共同選果場組合を立ち上げ、東京築地市場などに有田みかんを販売していました。その後2000年に7戸のうち4戸から後継者が誕生したため、さらなる魅力的な組織づくりをと法人化を行い、有限会社早和果樹園が誕生しました。しかし会社設立直後、天候不順や相場の下落などによりみかん価格が低迷したため、2004年に加工事業に参入。当初は加工品の市場規模が小さいため販路確保に随分苦労しましたが、社員全員で試飲販売を行うなど地道な販売活動が実を結び、現在年間を通じたみかん加工品を販売。みかん販売と合わせた主力の2本柱として事業展開しています。
御社の現在の事業の強み・特徴やこれからの展望について教えてください。
当社は日本一のみかんブランド産地である「和歌山有田地方」において、“生産者ならでは”の意識を大切にした事業に取り組んでいます。栽培では先進的な手法である「マルドリ方式」や「データ農業」を活用。加工では皮を取り除いて薄皮ごと搾る「チョッパー・パルパー方式」を採用し、雑味をのぞくことでまるで食べるような味わいのジュースを実現。また、残渣である果皮などは乾燥して生薬として販売するなど、「捨てない加工」を実現しています。新卒大学生やシルバ-人材などを積極的に採用し、地域の働き場の創造につなげるとともに、持続可能なみかん産地づくりにも注力しています。
企業から見た地域の魅力について
御社から見た和歌山地域の魅力について教えてください。
和歌山有田は年間を通じて温暖な気候と、夏場に雨が少なく水はけの良い秩父古生層の土壌を持ち、温州みかんの栽培に非常に適した地域です。有田では早和果樹園をはじめ多くのみかん農家が、栽培技術をお互いに高め合いながら、みかん栽培を行っています。 その歴史は古く、1574年(天正2年)に当時の糸我荘中番付(現在の有田市糸我町中番地区、早和果樹園の川向かいです)にみかんの苗木を植えたところから始まったと伝えられています。有田は450年近く歴史がある一大みかん産地なのです。また、有田川の流れる先には紀伊水道があり、近海魚が豊富に穫れる漁場としても有名な地域です。
企業が求める人材像について
御社に応募していただきたい人材像について、具体的に教えてください。
当社ではみかん産業の隅々まで網羅する「有田みかんの6次産業化」を、一緒に実践する仲間を待っています。現在20代が約4割という非常にフレッシュな会社です。ベテランのおばあちゃん達も頑張っていますが、若い世代が中心となり各方面で活躍してくれています。地域を巻き込んだみかん産業を展開していますので、地元雇用を大切にしています。さらには新卒学生も毎年採用し、県外出身者も多数受け入れています。「都会ではできないことをやってみたい」「地元和歌山に貢献したい」「農業に興味がある」「食品製造に興味がある」「農業経営を勉強したい」などの想いのある方は、是非一度当社にご連絡ください。
ひとを知る
代表取締役社長
秋竹俊伸
和歌山県有田市出身。高校卒業後、農林水産省果樹園芸試験場の研修生を経て、1996年家業であるみかん農家に就農。2000年、出荷母体である共選組合の法人化に伴い、同社に入社。入社後も30歳過ぎまでは専業農家として有田みかん栽培に従事する。2009年総務部長就任、仕事場が畑からデスクに。その後取締役専務を経て2017年9月に代表取締役社長に就任。2022年3月同志社大学大学院を修了し、ビジネス修士(MBA)を取得。一層の経営力向上を目指している。
プレスリリース
【有田みかん収穫体験イベント】第18回 アグリファンフェスタ2023を11月12日(日)に開催!みかん畑の絶景を楽しみながら、プロの農家が栽培した特別なみかんを堪能
月刊「事業構想」で当社の事業が紹介されました
SDGsへの取り組み
- 【8】若手雇用や育成、シルバー人材の雇用の創出など、地方産業の活性化に尽力しつつ地域経済の成長にも寄与しています。
- 【12】「捨てない加工」を通じて、みかんという資源をまるごと利用できる商品開発を行っています。
- 【15】日本農業遺産にも選ばれている有田みかん産地の段々畑を有効利用し、未来に持続できる産地づくりに取り組んでいます。
企業プロフィール
企業名 | 株式会社早和果樹園 |
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所在地 | 〒649-0434 和歌山県有田市宮原町新町275-1 |
創業年 | 1979年創業 |
代表者 | 代表取締役社長 秋竹俊伸 |
事業内容 |
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